菅総理の実家場所は「秋の宮いちご」で有名な、秋田県旧秋ノ宮村、現在の湯沢市秋ノ宮。
2010年に92歳で亡くなった、父親の菅和三郎さんは、
イチゴの栽培で地元秋田をけん引したとして、今なお語り継がれる人物です。
日本で世襲政治家が多い中、「貧しくはないがお金持ちでもなかった農家の息子」として、
大学の学費を稼ぐためにアルバイトし、民間企業に就職した経験もある菅総理。
実家の詳しい住所や、兄弟など家族構成についても詳しく!
菅総理の実家場所(住所)は秋田県湯沢市秋ノ宮堰ノ口!
菅総理の現在の自宅は、神奈川県横浜市ですが、
実家の場所は「秋田県湯沢市秋ノ宮」という所にあり、
秋田市内から車で50分前後かかる場所にあります。
湯沢市秋ノ宮にある菅首相の生家では、衆議院での首相指名と同時に「秋田県初 菅義偉総理大臣誕生おめでとう」の垂れ幕が下がり、祝砲が鳴り響きました。秋田県出身者として初となる首相誕生の記念にと、生家の写真を撮影しに訪れる人が後を絶ちません。#秋田 #菅義偉 #秋ノ宮 pic.twitter.com/mu9yR8fAV3
— 朝日新聞秋田総局 (@asahi_akita) September 16, 2020
湯沢市秋ノ宮地区は、宮城県と山形県が隣接してる山間部。
「秋ノ宮」の地名は、秋田と宮城の頭の一文字を取ったのだとか。
菅総理の実家住所の詳細については、ネットでも公開されています。
菅 和三郎氏(すが・わさぶろう=菅義偉衆院議員の父)28日死去、92歳。自宅は秋田県湯沢市秋ノ宮堰ノ口218の2。
2010年6月29日 「日本経済新聞」より
湯沢市秋ノ宮は、過去は雄勝(おがち)群秋ノ宮村⇒雄勝町に改名し、現在の湯沢市秋ノ宮になりました。
雄勝町と言えば、歴史的にも有名な絶世の美女小野小町が生まれた場所と言われていて、
そして湯沢市と言えば超有名なブランド米、あきたこまちの産地!
雄勝町で生まれた菅総理は、イチゴ農家の長男として生まれ、
地元の秋田県立湯沢高校に通いながら、家業の農家を手伝っていたんだとか。
菅総理の実家はいちご農家
菅総理の実家は、父が元いちご農家。
実は、菅総理の父菅和三郎(すが わさぶろう)さんは、
国産のいちごブランド立ち上げに、大きく貢献された方だったのです。
菅和三郎(すが わさぶろう)
日本のイチゴ農家。元雄勝町議会議員(4期)。
イチゴブランド「ニューワサ」で「秋の宮いちご」のブランド化に成功。秋の宮いちご生産出荷組合(のち、湯沢市いちご生産集出荷組合)組合長を50年近く務める。
2010年92歳で死去後、旭日単光章を叙勲されている。
Wikipedia
菅総理の父である菅和三郎さんは、
「稲作農業だけでは生活が豊かにならない。もっと高収入の作物に切り替えないといけない」
というのが口癖だったそうで、
そうした理由で、いちごのブランド生産に乗り出したんだそう。
試行錯誤の上、豪雪地帯の湯沢市の気候を生かした、いちごの生産方法を生み出しました。
菅和三郎さんの名前「わさぶろう」の「わさ」を取って、
「ニューワサ」
と名付けられたいちごは、
実が引き締まっていてやや固く、香りも良し、味も良し、日持ちも良しで
東京や大阪の卸売市場でもたちまち評判がひろがり、
のちの「秋の宮いちご」のブランド化に成功したのです。
国産いちごの生産も極一部の地域になってきました。
ただいまミカドで使っているいちごは秋田の『秋の宮』
12月頃までは国産いちごの入荷が難しい時期になってきますが、可能な限り国産にこだわっていきます。 pic.twitter.com/mULieF7crv— MIKADO (@cake_mikado) July 9, 2019
現在「秋の宮いちご」の生産者は75戸、作付面積8.5ヘクタール、毎年の総売上約1億円にまで成長。
秋の宮は寒冷地のため、一般的にいちごが出回る時期より遅れて出荷できることも、
秋の宮いちごが成功する要因になった1つなんだとか。
たびたび東京や大阪を訪れ、いちごの販売ルートをコツコツ開拓していた菅和三郎さん、
マメな努力も秋の宮いちごが大成功を収めた大きな要因だったのでしょう。
そんな父の背中を見て育った菅総理は、
2020年1月のインタビューでこんな事を語っていました
私自身、秋田で育ったので、地方創生を高らかに掲げ、インバウンド(訪日外国人旅行客)政策や農業改革で地方の所得を引き上げたい。そうすれば地方に人が住むからです。
2020.1.14「産経新聞」より
菅総理の実家がある湯沢市秋ノ宮地区の、2020年3月時点の人口はたった1489人。
過疎化が進む故郷を、もう一度もりあげたい気持ちは、いっそう強いことでしょう。
現在は、秋田県に限らず地方はどこも、都心に人が集まり過ぎているせいで過疎状態が続いています。
筆者の住んでいる地方も、ど田舎なので正社員で働けても手取り13万あるかどうか、、
皆都会に行きたくなる気持ちも分かります…( ;∀;)
菅総理のおっしゃるように、地方の所得を上げる事で、税収も増やして福祉など必要な所へお金が回るようになれば、所得格差や過疎もマシになりそうですね!
菅総理の家族構成と兄弟は?
菅総理の実家の家族構成は
- 父親・菅和三郎
- 母親・菅タツ
- 姉2人
- 菅義偉総理
- 弟・菅秀介
の6人家族。
父・菅和三郎さんは、いちご農家を始める前は満鉄で職員をしていて、
終戦後に地元の秋田県秋の宮に帰国しました。
母タツさんは、学校の教師をされていて、出会いはお見合いだったようです。
母や叔父、叔母も元学校教員、
そして菅総理の2人の姉も、現在高等学校教員として働いていらっしゃいます。
弟は菅秀介
菅総理の3歳年下の弟は菅秀介(すがひですけ)さん(1951年5月1日生)
1974年に慶応大学商学部を卒業後、1989年に「ヒデ製菓」を起業。
一時期は、東京駅改札のコンコースでお菓子を販売するほど順調だったものの、
起業から13年後の2002年10月に破産。
現在は、JR東日本グループ企業の役員を務めているのだとか。
菅総理の実家はお金持ちエピソードも…
菅総理の実家は、父がいちご農家でブランド事業にも大成功、母が教師ということもあり
「お金持ち」とは言わないまでも、比較的裕福な家庭で生まれ育ったようです。
菅総理の小学校時代を知る友人のエピソードによると、
当時『冒険王』という月間マンガ雑誌を、毎月家に定期購読で配送されていて
マンガを読みたい友達が、菅家の家の前で並んで待っていたのだとか。
今でこそ漫画本は安価で手に入りますが、当時はマンガ本を買ってもらえる子供はクラスに2、3人いるかどうかの時代。
菅少年は、毎月マンガが届く日に、開封せずに先にお友達に見せてあげていたそうで、
友達思いの心優しい少年だったエピソードも。
父親・菅和三郎さんは菅総理に農業大学校に進学して家業を継いでほしいかったそうですが、
「農業は自分の仕事じゃない。東京で自分の実力を試してみたい」
と考えるようになり、反対を押し切って上京し、集団就職!
家出同然で上京し、働きながら大学に通いました。
親の力を借りず、自分で働いたお金で大学を卒業するだなんて、、
親のすねをかじって大学生活もフラフラしていた筆者なので、
本当にそれだけで総理には頭が下がる思いです(笑)
菅総理の実家はお金持ちの農家って本当?まとめ
菅総理の実家は農家でお金持ち!というのは本当でしたが、
それは「秋の宮いちご」の生みの親である父和三郎さんの、人生をかけた挑戦があったからこそでした。
成功が約束された家業を継がず上京した菅義偉総理も、また努力と挑戦の人。
そんな菅総理の若い頃のイケメンぶりはこちらもクリック▼