「高卒で契約金一億円を手にした男」として今も伝説のように語り継がれる辻内崇伸・元巨人投手。
それだけ高校時代の活躍が大きかったということですが、結局2013年に戦力外通告を受け引退してしまいます。
高校は名門大阪桐蔭高校でしたが、高校時代に活躍した同期の選手には誰がいたんでしょうか。
今回は、辻内崇伸さんの高校・ドラフト時代の活躍ぶりや契約金一億円の用途・そして現在の仕事などについても調べてみました。
辻内崇伸の高校時代とプロ入り前の活躍は?
辻内崇伸さんは、奈良県出身で高校は野球の名門「大阪桐蔭高校」。
2005年夏の甲子園のエースとして、今も語り継がれるほど数々の伝説をのこしました。
小学校1年生の時一塁手として野球を始め、中学時代には「郡山シニア」に所属し投手に転向します。
高校2年の秋からエースに抜擢され、3年時に出場した2005年夏の甲子園は、大阪桐蔭高校にとっても歴史に残る大きな出来事となりました。
なぜなら大阪桐蔭高校にとっては、初出場・初優勝を果たした1991年の夏の甲子園以来の、4強入りだったからです。
1回戦で時速156キロを記録
辻内投手は、2005年夏の甲子園1回戦の春日部共栄戦では156キロを記録したと言われ、
高校生とは思えない離れ業で甲子園を沸かし日本中の注目の的となりました。
2回戦で19奪三振を記録
辻内投手は、2005年夏の甲子園2回戦の藤代高校戦では当時の大会タイ記録となる19奪三振を記録。高校生とは思えない離れ業で甲子園を沸かしました。
田中将大から本塁打も
辻内投手はこの時、大会における通算奪三振では、板東英二の「83」に次いで当時歴代2位の「65」を記録。
準決勝では駒大苫小牧の「マー君の」こと田中将大から本塁打も打っています。
また2005年同年の、AAAアジア野球選手権大会に日本代表として出場し、松坂大輔らが活躍した1998年大会以来となる優勝に貢献しました。
2005年の高校生ドラフトでは、読売ジャイアンツとオリックス・バファローズとの競合の末、巨人が指名権を獲得し1巡目指名で入団します。
その後巨人にドラフト1位で入団しましたが、怪我になやまされ2013年に引退しました。
辻内崇伸の高校・大阪桐蔭出身のプロ野球選手は誰?
辻内投手の出身校大阪桐蔭は、高校野球の名門校。中田 翔選手もそのうちの一人です。
大阪桐蔭出身で有名なプロ野球選手は次の通り。
平田 良介
江村 直也
藤浪 晋太郎
岩田 稔
森 友哉
中村 剛也
中田 翔
西田 直斗
西岡 剛
辻内 崇伸
名将西谷 浩一
など、多くのプロ野球選手を輩出しています。
辻内崇伸の同期!浪速の四天王はドラフト会議でも注目
今も語り継がれている「浪速の四天王」をご存知でしょうか。
辻内選手が活躍した2005年夏の大阪の高校野球界を席巻した4人の猛者たちの通称で、
2005年度新人選手選択会議=「プロ野球ドラフト会議」で注目された4名です。
その猛者たちの名前は
・平田良介(大阪桐蔭高校→中日)
・鶴直人(近大付属高校→阪神)
・岡田貴弘(履正社高校→オリックス)
この4人がしのぎを削って甲子園の座を争っていました。
辻内崇伸が高卒で受け取った契約金1億円の用途は?
大阪桐蔭高校出身の辻内崇伸は、2005年の高校生ドラフト1位で巨人に入団します。
将来性の高さから、高卒では異例の「契約金1億円を手にした男」としても語り継がれています。
しかしプロ入り後は度重なるケガに悩まされ、約8年間で1軍登板がないまま、2013年に戦力外を通告され、そのまま引退しました。
気になる「契約金1億円」の用途ですが
巨人から一括で支払われたという契約金の1億円について辻内氏は
「全部、親に渡しました。高校が私立だったので、特待でもないですし、そのままプレゼントしました」
とキッパリ。
元巨人ドラフト1位の辻内崇伸氏 契約金1億円の用途を明かす 2017年8月15日 ライブドアニュース
とインタビューでは答えていますが…
意外な契約金の使い道は、実はパチンコ依存症だったとも言われています。
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辻内崇伸のプロ入り後の活躍や怪我・手術は
辻内崇伸投手は、戦力外通告を受けてしまいますが、プロ入り後の活躍ぶりもまとめてみましょう。
2006年プロ入り後初の春季キャンプでは一軍キャンプスタートと期待されるも、左肩の炎症もあり、二軍でスタートとなる。
アメリカ・ハワイで行われたハワイ・ウィンターリーグ戦では先発投手として8試合30イニング、1勝2敗、35奪三振、防御率2.30の成績を残した。
2007年、一軍復帰に期待されつつ、またもや左肘痛で二軍落ち。「内側側副靭帯の断裂」と診断され、再建手術を行う事となる。手術は成功したものの靭帯の定着には非常に時間がかかるため、二軍を含む公式戦での登板もなかった。
2008年はようやく実戦復帰し、速球も最速150km/hを記録するなど復活の兆しを見せたものの、やはり二軍公式戦の登板はなかった。
2009年は二軍で先発ローテーションの一角に入って7勝を挙げ、防御率2.69と自己最高の成績を残す。
2012年3月17日に行われた埼玉西武ライオンズとのオープン戦に2番手として一軍戦で初登板・最速147キロをマーク。
同年8月16日には初めて一軍に昇格したが、登板はないまま8月22日に登録抹消された。この時に現在の4歳年上の妻こずえさんと結婚。
2013年は春季キャンプでは一軍でスタートしたが、肩の調子が振るわず二軍のキャンプに降格。腕が上がらなくなる状態に陥ったため、痛み原因となっている遊離軟骨を内視鏡で除去する手術を受ける
結局10月1日に戦力外通告を受け、一軍での公式戦の登板がないまま引退した。
辻内崇伸の引退後の仕事が意外
辻内崇伸元投手ですが、現在はどうしているのかというと、
- わかさ生活でサラリーマン 2014年~
- 女子プロ野球・アストライアのコーチ 2014~2018年
という、
サラリーマン兼女子プロ野球のコーチ
という2つの顔で活躍していました。
健康サプリでおなじみのわかさ生活に入社し、日中はサラリーマンとして、
そしてし同時に女子プロ野球の「埼玉アストライアのコーチ」に就任しています。
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元巨人ドラフト1位・辻内崇伸のプロフィール
【本名】辻内 崇伸(つじうち たかのぶ)
【生誕】1987年12月5日
【出身】奈良県磯城郡川西町
【高校】大阪桐蔭高校
【身長】185㎝
元巨人・辻内崇伸の大阪桐蔭やドラフト時代の同期は?契約金一億円の用途も!まとめ
■辻内崇伸は浪速の四天王の一人として、2005年のドラフト会議でも大いに注目されていた
■元ドラフト1位で2006年に巨人に入団、2013年に戦力外通告を受けて引退した辻内崇伸氏の一億円の使い道は、親にプレゼントしたと言われているが実はパチンコに使ったウワサあり
現役時代は怪我に悩み、辛い時期もあった辻内崇伸さんですが、現在も野球への情熱は冷めることな頑張っておられるようですね。
これからも応援していきたいと思います。
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