雅子様の母親(小和田優美子)の学歴経歴や母方の実家の評判は?

雅子様 母実家

皇后雅子様の母・小和田優美子さんは、慶應義塾大フランス文学科卒の才女。

そしてご実家の江頭家の家系は、4代まで辿ると佐賀藩士に行き着くというのだから、もうビックリ!

そして、小和田優美子さんは、チッソ株式会社元社長の江頭豊氏の長女でもあります。

チッソ株式会社といえば昔、《水俣病》裁判の件で、

雅子様の結婚時に「相応しくない家柄」と誹謗中傷でゴタゴタありましたが、

実際には何が問題だったんでしょう。

雅子様の母親、小和田優美子さんの学歴や経歴、実家の評判について解説!

雅子様の母親(小和田優美子)の学歴経歴

雅子様の母親は、小和田優美子(おわだ ゆみこ)さん。

旧姓は

「江頭(えがしら)」

で、チッソ株式会社元社長の江頭豊(ゆたか)の長女と表現したほうが、

もしかしたら有名かもしれません。

チッソ株式会社については後ほどお話ししますね。

小和田優美子さんプロフィール

・生年月日 1938年1月30日(79歳)※2020年5月時点
・出身 富山県
・居住地 東京都目黒区南
・職業 日本ユニセフ協会評議員
・身位 準皇族
・出身大学 慶應義塾大学 文学部 フランス文学科

小和田優美子さんは富山県で生まれ、1944年4月に田園調布雙葉学園小学校に入学。

その後エスカレーター式に中学校、高等学校と進学し、

1956年3月に田園調布雙葉高等学校を卒業しました。

大学は、慶應義塾大学学部文学部で、フランス文学科を専攻しています。

1960年の22歳で大学を卒業し、エールフランス航空に就職。

大学卒業後そのまま海外の航空会社に就職するなんて、優美子さんもきっと語学が堪能でいらっしゃったのでしょう。

さすが、雅子様のお母さまです!

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雅子様の父母(両親)の出会い馴れ初め

雅子さまの母優美子さんは、エールフランス航空で極東支社長秘書として勤めていましたが、

小和田恒さんと出会い、わずか2年ほどで寿退社しています。

雅子様の父小和田恒さんは、当時から外務省のエリート官僚で海外を飛び回っていましたから、

夫と家族を支えるため、優美子さんは仕事を続けるのは難しかったのかもしれません。

ちなみに、優美子さんと小和田恒さんの出会いはお見合いだったそうです。

海軍中将の竹内重利氏の妻・竹内寿子さんと、フランス大使の西村熊雄氏が2人のお見合いをセッティング。

とんとん拍子に話が進み、

1962年10月7日に、晴れてお二人はご結婚、小和田恒さん30歳、優美子さん24歳の、6歳差婚でした。

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雅子様の母親(小和田優美子)の実家!高祖父が佐賀藩士

皇后雅子さまの母小和田優美子さん(旧姓・江頭)の家系を辿ると、

佐賀藩士に行き着くとする著書が、

「新装版 小和田家の歴史」(2019年)

には記されています。

高祖父・江頭嘉蔵は佐賀藩士

著書の内容によると、母方の小和田優美子さんの家系をたどって判明した最も古い先祖は、

高祖父(ひいひいおじいちゃん)に当たる佐賀藩士・江頭嘉蔵。

明治維新後は旧制佐賀中学校(現・佐賀西高校)で校務員として働いていました。

曽祖父・江頭安太郎は海軍兵

江頭嘉蔵の次男で、雅子さまの曽祖父(ひいおじいちゃん)は、江頭安太郎海軍中将。(1913年1月23日死去)

旧制佐賀中学校を経て、海軍兵学校を首席で卒業しています。

明治天皇の前で講演もしていて、この時が皇室と江頭一族との初めての接点だったそう。

祖父・江頭豊はチッソ会長

江頭安太郎の三男で、雅子さまの祖父(おじいちゃん)の江頭豊氏。(2006年9月24日死去)

東京帝国大学を卒業し、日本興業銀行に入行後、常務取締役大阪支店長を務めます。

のちに、新日本窒素肥料(現・チッソ)専務、社長、会長として経営再建に務めました。

いとこ・江頭淳夫は文芸評論家

また、母優美子さんの“いとこ“には、戦後日本の著名な文芸評論家の故・江藤淳(本名・江頭淳夫)など、

江頭一族の人々は、まだまだ紹介しきれないほど著名な人物はいらっしゃいます。

なんとも尊く偉大な、雅子様の母方の祖先の皆さま。

卓越した才能は、努力はもちろん、血筋ってやっぱりあるのかなぁと思ってしまう、凡人筆者でありました。

雅子様の母親(小和田優美子)とチッソ株式会社の関係

最初にもお話ししましたが、雅子様の母親である小和田優美子さんは、

チッソ株式会社元社長、江頭豊さんの長女です。

チッソ株式会社とは

1906年に設立したチッソ株式会社は、

電子部品,肥料,農業資材,医薬原料など、あらゆる化学製品を開発し、販売している会社です。

チッソ株式会社は、2011年、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」に基づいて、JNC株式会社を設立。

四大公害病《水俣病》の被害者を補償するため、化学品分野の事業活動を譲渡しています。

水俣病とチッソ株式会社

なぜ、チッソ株式会社と水俣病が関係するかと言うと、

チッソ株式会社は元々

「新日本窒素肥料株式会社」

という名前の会社でした。

水俣病の原因である水銀を垂れ流した会社は、じつは「新日本窒素肥料株式会社」だったんですね。

水俣病の発生が確認されたのは1956年。

江頭豊さんが、新日本窒素肥料専務取締役に初めて就任したのが、8年後の1964年。

翌年1965年に新日本窒素肥料が「チッソ株式会社」に改名しました。

江頭豊さん、公害発生後の後処理として、会長に就任だなんて損な役回りですね。それだけ仕事の実績も有望な方だったのでしょう。

「新日本窒素肥料株式会社」が水銀を流し始めたのは1932年から、1956年に水俣病の発生が確認されているので、

江頭豊さんが水俣病を引き起こした原因に関わったわけでは、断じてありません。

しかし、江頭豊さんが新日本窒素肥料に就任してからも、水銀の排出をすぐには止めず、

被害者への補償も充分では無かったことから、問題は長期化。

チッソの会社に対しても、悪いイメージが付いてしまいました。

この件で雅子様が皇紀候補になった時に、

母方の祖父がチッソの関係者の家系

ということで、心無いデマや批判、そして裁判まで起こされるなどに発展し、

お妃候補からも一時期外されたこともありました。

▼1991年 雅子様28歳・祖父江頭豊氏83歳のころ▼
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水俣病の原因企業のチッソの会長だった雅子さまの祖父・江頭豊氏。

しかし、1964年にチッソの会長に就任された時は、すでに水俣病発生から8年以上も経過し、

公害病としてすでに表面化していた後でした。

そして

「江頭豊氏は、水俣病事件については、法的責任は問われない」

として、当時の元最高裁判事・団藤重光氏により決着がついています。

雅子様の母親(小和田優美子)の現在は病気療養中?

雅子様の母親、小和田優美子さんは、2021年でちょうど80歳を迎えられます。

現在は、夫小和田恒さんとともに、ご夫婦で目黒のご自宅で暮らしておられるようですが、

ご病気で療養中?

との噂もありました。

噂によると、その病名とは認知症。

認知症と言えば、

・親族の顔も名前も分からない
・物を盗られた!と思い込む
・ご飯を食べたのに食べてないと言う

などなど、介護する側の家族には、精神的にもかなり負担がかかる症状です。

実際は、小和田優美子さんが認知症という情報の出所は無いため、デマの可能性が高いです。

雅子様のご両親が、マスコミの前に出て発言しないことをいいことに、

悪意のある人がデマを垂れ流したのかも知れません!

雅子様の母親(小和田優美子)の学歴経歴や母方の実家の評判まとめ

雅子様の母親、小和田優美子さんは小学校から田園調布雙葉学園に通っていたお嬢様。

大学は慶應義塾大学の文学部フランス文学科を専攻し、

卒業はエールフランス空港に就任して2年後には小和田恒さんと結婚。

祖父が水俣病を発生させた会社の社長に就任していたということで、

雅子様がご結婚時は色々と大変な思いもあったことでしょう。

年齢的にも病気を患わないか心配ですが、できるだけ長く健康的に過ごして欲しいですね!

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