皇后雅子様の父親・小和田恒(おわだひさし)さん。
国際司法裁判所の所長に、日本人として初めて就任した、大変立派な方です。
雅子様と同じく、外交官としても活躍されていた小和田恒さんなので、
ぜひ余生はのんびりと、娘の雅子様と時間を過ごしていただきたいですよね。
ところが、実は仕事を早期退任したのは介護が必要になったからでは…?なんて憶測も。
雅子様の父親小和田恒さんについて、ご実家の家柄についてもクローズアップ!
雅子様の父親・小和田恒とは
雅子様の父親の名前は小和田恒(おわだ ひさし)さん。
※本来は異体字の《恆》の方が本名だそうです、この記事では《恒》と記述させていただきます。
名前:小和田 恒(おわだ ひさし)
誕生日:1932年9月18日
出身:新潟県
学歴:東京大学教養学部卒業、ケンブリッジ大学で法学士を取得
職業:外交官。国際司法裁判所判事、外務事務次官、外務審議官、外務大臣官房長などを歴任。国際法学者。教授(ハーバード大学他)
雅子様の父・小和田恒さんは新潟県出身。
2003年からオランダ・バーグにある国際司法裁判所(ICJ)の裁判官となり、2009年には日本人初の所長に就任。
2018年6月には、86歳というご高齢のため、判事を退任されて日本に帰国。
現在は妻・優美子さんとともに、目黒のご自宅で静かに暮らしていらっしゃいます。
▼1993年雅子ご成婚時。小和田恒さんと妻の優美子さん▼
雅子様の父親(小和田恒)の現在は仕事を退任
2018年6月7日、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の判事を退任された小和田恒さん。
正式な任期は、2021年までだったものの、途中退任の理由は、当時85才という高齢であることに加えて、
娘の雅子さまが、2019年5月1日の令和元年から皇后さまとなられたときのことを考慮してのご決断だったようですね。
小和田恒さんは人望も厚く、仕事もかなりデキる人だったようで、
第122代外務大臣の柿沢弘治氏は
「外務省内で小和田(恒さん)と論争して勝てる者はいない」
と語っていたり、
「外務省のドン」と言われる斎藤邦彦氏と部下の岡本行夫氏は、
「国際法学会で小和田恒さんが発言すると、会場が静まり返って傾聴するほどだった」
「あれほど有能な人は見たことがない」
と大絶賛するほど。
小和田恒さんは第22代国際司法裁判所所長にも就任し、
3年間の任期(2009年2月6日~2012年2月5日)を全うしました。
国際司法裁判所の所長に日本人が就任するのは、初めての事だったそうです!
所長を退任した後も判事を続け、2018年には核脅威イニシアティブ(NTI)の名誉役員に就任。
そして、2018年6月7日に国際司法裁判所の判事を退任にともない、
15年間住んでいたオランダから、現在は日本に帰国されています。
小和田恒の生い立ち&家柄や家系
雅子様の父方である小和田家は、江戸時代に村上藩の藩士だった家系。
新潟県村上市には曾祖父の生家もあり、雅子様の本籍地でもあるゆかりの地です。
天皇陛下の即位時の令和元日の2019年5月1日夜には、
新潟県村上市では、花火の合図とともにご即位を祝う巡行イベントも行われました。
ちなみに「小和田」っていう苗字、なかなか珍しいですよね。
日本には東北地方を中心に、2000人弱しかいない姓なんだとか。
祖父・小和田毅夫は高校の校長
小和田恒さんの父の小和田毅夫(おわだ たけお)さんは、元高校教員。
新潟県立高校長であり、高田市教育委員長でもありました。
ちなみに、高田高校は小和田恒さんも通っていた高校です。
小和田恒の兄弟は8人
小和田恒さんは、8人きょうだいの4番目の、次男坊。
- 長男…顕氏(東大文学部卒)専修大学教授
- 長女…節子氏 夭折
- 次女…恭子氏(奈良女子高等師範卒) 播磨耐火煉瓦常務夫人
- 次男…恒氏(東大教養学部卒)
- 三男 …鎌田隆氏(東大法学部卒)弁護士で鎌田家に婿養子に
- 四男…統氏(東大法学部卒)運輸省に入省、海上保安庁次長 国際観光振興会理事
- 三女…紀子氏(御茶ノ水女子大学卒)日本興業銀行常務夫人
- 五男…亮氏(東大工学部卒) 運輸省港湾局 計画課港湾計画審査官
なんだか、小和田恒さんの五男三女のみなさまは、予想通り東大卒でエリートがゾロゾロ。
尊すぎる小和田家の皆さま、本当にスゴイとしか語彙力のない平凡な筆者。笑
ちなみに、姉の「節子」さんは、雅子様の妹「節子」さんと同じ名前ですね!
つまり、小和田恒さんは、自分の姉の名前を、自分の娘にも名付けたことになります。
あくまでネット上の情報で確証はないですが、恒さんの姉節子さんは夭折(ようせつ・若くして死去)されたとのこと。
きっと、「節子」は恒さんにとっては、特別なお名前だったのでしょう。
雅子様の父親・小和田恒の若い頃画像
こちらは小和田恒さんの若い頃のお写真です。
隣にいるのは雅子様の母親、小和田優美子さん。
小和田優美子さんの家系もまた、4代さかのぼると「佐賀藩士」という超エリート家系。
結婚した頃の写真の小和田恒さん、とっても真面目で紳士的な感じが伺えますね!
お鼻も高くて、イケメンの美男美女カップル、雅子様が美人なのも納得です!
雅子様の父親・小和田恒の学歴
小和田恒さんは1932年〈昭和7年〉9月18日生まれ。
旧新潟県立柏崎中学校(現在:新潟県県立柏崎高校)に通っていましたが、
2年生の時に、父親毅夫さんの転勤で、旧新潟県立高田中学校に転校します。
新潟県立高田高等学校を卒業したあとは、
そのまま東京大学の教養学部教養学科に進学。
更に1954年には東京大学に在学中、まだ10代のうちに、外交官領事館試験に見事合格。
試験に合格した翌年に大学を卒業し、その後、外務省に入省しました。
ちなみに、娘の雅子様も、東京大学在学中に外務省採用試験に合格され、そのまま外務省に入省されています。
親子で同じキャリア、スゴすぎる経歴。
雅子様は、きっと父恒さんのことを心から尊敬されていたのでしょう。
小和田恒さんは、外務省に入省後に、ケンブリッジ大学し、1956年にイギリス法学士も取得。
数え切れないほどの称号もお持ちでいらっしゃり、
もう、どれほど尊いお方なのか、高卒の筆者にはよくわかりません。。w
《小和田恒氏の称号》
・教養学士-東京大学
・イギリス法学士-ケンブリッジ大学
・名誉博士(法学)-敬和学園大学
・名誉博士(法学)-バーナラス・ヒンズー大学
・名誉博士(法学)-早稲田大学
・名誉博士(法学)-フローニンゲン大学
・名誉博士(法学)-ケンブリッジ大学
・名誉博士(法学)-広島大学
雅子様の実家家族は母と双子の妹二人
ちなみに、雅子様の実家の家族構成は、5人家族です。
- 父
- 母
- 雅子様
- 妹(双子)
母親の小和田優美子さんは、水俣病が発生した原因であるチッソ株式会社の社長をしていた江頭豊の長女。
原因の水銀流出を早期に止めなかったことと、被害者への補償金の問題で、社長時代には水俣病被害者との話し合いをされたこともありました。
20年前に雅子様の結婚話が出た時は、母方の祖父である江頭豊さんが、チッソ株式会社の社長ということで、お妃候補から1度外されたこともありました。
雅子様、妹は二人
雅子様には双子の妹が2人いて、
名前は双子の姉が池田礼子さん、妹が渋谷節子さんです。
池田礼子さんは国際公務員をしていて、過去にはユニセフ(国際連合児童基金)の駐日事務所副代表を務めていました・
渋谷節子さんは、文化人類学学者と翻訳家、現在は福知山公立大学の教授を務めています。
雅子様だけでなく、ご家族全員キャリアウーマンなんですね!
雅子様の父親(小和田恒)の現在は介護の噂?
雅子様の父、小和田恒さんが介護状態なのでは?という噂が立った理由。
それは、
などから、介護のウワサが出たようです。
雅子様は長女と言えど、ご両親と同居するわけにはいきませんから、
ご年齢的にも、近い将来不自由がないようにと、いろいろと万全を期して準備されているようです。
もちろんまだまだお元気だと思いますが、これからは双子の妹さん達と協力して両親を助けられたらいいですね!
雅子様の父親(小和田恒)の現在は?仕事退任で介護の噂まとめ
雅子様の父親、小和田恒さんは現在日本に帰国し、都内に奥さまの優美子さんと暮らしておられます。
2018年まで国際司法裁判所で判事を務め、85歳の頃に辞任したので、日本の定年を遥かに超えてご活躍されました。
長い間外交官として仕事を頑張ってきた小和田恒さんには、余生をゆっくり過ごして頂きたいたいと思います。