1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリストの伊藤みどりさん。
ピーク時のジャンプの高さは70cm・飛距離2.31m
と言われ、まさに前人未到の境地!
身長145cmながら、誰よりも高く跳び、誰よりも溢れる演技が魅力的でした。
30年以上経過しても今なお、伊藤みどりさんほどのトリプルアクセルを飛べる女子選手はほとんどいません。
昭和時代に、フィギュア女子の大スター選手だった伊藤みどりさんは、令和になり、50代に!
引退後はメディア出演もあまりない伊藤みどりさんですが、
現在の、結婚離婚歴や子供がいらっしゃるかなども調査!
伊藤みどりの現在!引退後も「跳んでいた!」
コチラの動画は 国際アダルト選手権という、いわゆる「スケートのシニア大会」での2019年の映像。
▼伊藤みどり50歳!まだまだ跳ぶ!
《国際アダルト選手権での成績》
2018年 国際アダルト選手権、マスターズエリートIIクラス 1位
2019年 国際アダルト選手権 マスターズエリートⅢクラス 1位
1988年に女子選手として世界初のトリプルアクセルを成功させた伊藤みどりさん。
50代を迎えた現在も、21歳~66歳以上対象のスケートの世界的シニア大会(Adult Figure Skating)にも出場するなど、 スケーターとしても活動されています。
現役時代と変わらない可愛らしい笑顔と、ここまでジャンプと滑れる体力!本当に素晴らしいですよね!
伊藤みどりさんは1992年に現役引退後、フィギュアスケートの解説者として活躍。
2009年からは北九州で、一般人を対象に、スケートの指導をされています。
伊藤みどりさんが実際にスケート教室を運営されているかどうかまでは分かりませんでしたが、
北九州市小倉にある公共施設『北九州アイススケートセンター』でも、
ときどき講師として教えていらっしゃいます。
伊藤みどりの結婚や子供は?
伊藤みどりさんは私生活では離婚歴1度、お子さんはいらっしゃらないようですね。
2004年に元劇団四季所属のミュージカル俳優の八巻大と結婚したが、2006年に離婚。その後2009年9月に一般人男性と再婚して北九州市でスケートの教育指導をしている。 Wikipedia
伊藤みどりさんが最初に結婚したのは、2004年の34歳のとき。
お相手は、八巻大(やまきまさる)さん、「マンマ・ミーア」や「CATS」などに出演していた劇団四季所属のミュージカル俳優でした。
なんでも、伊藤みどりさんが「劇団四季」の大ファンで、舞台を見に行った時に八巻大さんに一目惚れしたのだそう。
残念ながら、2年程で
「もう二度と結婚したくない」
と実母にこぼすほど、結婚生活は上手くいかずスピード離婚してしまいました。
伊藤みどりの離婚理由は?
一目惚れした恋を実らせたにも関わらず、スピード離婚してしまった伊藤みどりさん。
離婚理由は、夫婦の不仲や元夫・八巻大さんのの女性関係など憶測はありましたが、
離婚理由の真相は明らかになっていません。
伊藤みどりさんの離婚当時、精神的なダメージを受けてうつ状態にも…という憶測報道もあったものの、3年後の2009年、40歳で一般人男性と再婚を自身のブログで発表。
「一歩一歩、一日一日を大切に過ごしていきたい」
とつづっておられました。
再婚男性のお仕事や馴れ初めなどは一切情報がありませんでしたが、
北九州へ移住されたのも、再婚相手の都合があったようです。
移住先でも、スケートの楽しさを多くの人に教えながら、ご自分らしく活動されている伊藤みどりさん。
『北九州アイススケートセンター』
に行けば、あの弾ける笑顔に会えるかもしれませんね!
伊藤みどりのトリプルアクセル伝説!高さは70cm!?
名前:伊藤 みどり (いとう みどり)
生年月日:1969年8月13日
出身:愛知県名古屋市
身長:145㎝
《伊藤みどり伝説》
- アジア初の世界選手権優勝
- 女子初のトリプルアクセル成功
- 女子初の1プログラムで6種類の3回転ジャンプ成功
- 女子初の3回転トウループ-3回転トウループ成功(女子初の3回転-3回転)
- 女子初の2回転ループ-3回転ループ成功
- 女子初の3回転ルッツ-3回転トウループ成功
1992年 アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリスト
1989年 世界選手権優勝
1988年 カルガリーオリンピック5位入賞
1985年-1992年 全日本選手権8連覇
1989年「最も高得点を取ったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載
2007年、国際スケート連盟 (ISU) は「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」との声明を発表。
伊藤みどりさんは、「ジャンプの高度化」を採点要素にするキッカケを作ったことから、
女子シングルの技術的先駆者・変革者とも言われています。
1989年に、伊藤みどりさんは、世界選手権で3回転アクセルに成功。
当時、芸術性が重要視されていた女子シングルにも「ジャンプ」という魅力を、世界に知らしめたのです。
以降、世界各国の選手たちは、伊藤みどりさんに対抗するために5種類の3回転ジャンプに挑戦するようになったのだとか。
▼浅田真央選手と比べても歴然の差が…
一説によると、ピーク時の伊藤みどりさんのジャンプは、
- 飛距離2.31m
- ジャンプの高さ約70cm
男子選手並みの高さで、当時の採点方法では公平にジャッジできないほど高度なテクニックだったことでも知られています。
浅田真央さんと比較しても、飛距離で1.5倍、高さは2倍以上と、
いかに規格外のジャンプであったかがわかりますね。
しかも当時は、まだスケート靴が今より数倍重かったそうですし、
令和時代に伊藤みどりさんが活躍されていたら…
6回転くらいは軽くこなしていたかもしれませんね!
伊藤みどりの生い立ち・5歳で山田満知子に見出される
伊藤みどりさんは名古屋市出身、3人兄弟の真ん中で、兄と妹がいらっしゃいます。
恩師でもあり母親代わりでもあった山田満知子さんと出会ったのは、5歳の時。
当時、両親に連れられて名古屋市内のスケートリンクに遊びに来ていた伊藤みどりさんは、
同じリンク内でスケート教室を開いていた山田満知子さんに滑りを見初められ、スカウトを受けました。
当時は無名でしたが「山田満知子」コーチといえば、
「浅田真央」
「宇野昌磨」
「村上佳菜子」
などの世界トップクラスのスケーターを育てた名コーチとして知られています。
山田満知子と二人三脚で世界を目指す!
伊藤みどりさんは、順調にスケート人生を歩むかと思いきや、小学1年時に両親が離婚、
経済的に苦しいシングルマザー家庭の上、子供を3人共引き取った伊藤家では、
フィギュアスケートのレッスンを続けることは困難な状況に陥ってしまいました。
本来なら、フィギュアスケートへの道は、小学の途中で途絶えていたかもしれない伊藤みどりさん。
彼女の才能を惜しんだ山田満知子さん、なんと母親を説得し、
10歳の頃から伊藤みどりさんを自宅に引き取ってレッスンを続けることになりました。
みどりが私のところに来たのは、彼女が5歳の時でしたが、今でもよく覚えているのは、私がお母さんと話す言葉をよく聞いて、それを理解しようとしていたことでした。人の話をしっかり聞く姿勢がその頃からあったわけです。そのような姿勢があれば、指導者が何を求めているかを把握できるようになるし、それを行動に移せるようにもなります。それが私の言う「勘」です。「理解力」や「集中力」と言い換えてもいいかもしれません。
山田満知子コーチは
「伊藤みどりとの出会いが私のコーチの出発点」
「私にプロフェッショナルとしての自覚を促したのも、伊藤みどりとの出会いだった」
と語るほど、当初は無名のコーチ。
今でこそ、日本でフィギュアスケートはメジャーで人気スポーツですが、
当時は、世界で日本人が活躍するのは難しいと言われていた時代でした。
まさに二人三脚で、コーチ兼母親代わりとして、伊藤みどりさんと一緒に世界を目指した山田満知子コーチ。
もうすぐ80歳になるとは思えないほどパワフル!
若い選手たちの力をぐいぐい引き出し、みんなに愛される選手を作る名コーチとして、
今なお現役コーチとしてで活躍されています。
伊藤みどりの現在!結婚&離婚理由や子供やトリプルアクセル伝説まとめ
日本が世界に誇る女子フィギュアのレジェンド伊藤みどりさん!
離婚という辛い経験もあったものの、心の支えになってくれる男性と出会い、現在は福岡(北九州市)で暮らしながら、一般人を対象にスケートの楽しさを教えていらっしゃいます。
伊藤みどりさんから教えを受けた子供で、もしかしたら今後世界で活躍する選手が出てくるかもしれませんね!