90年代の人気歌手・グループといえば、ZARD(ザード)やDEEN・大黒摩季などですよね。
中でも2007年に転落事故で亡くなったZARD(ザード)の坂井泉水さんの死はあまりにも突然で、公表された死因も衝撃的でした。
事故現場となった病院の画像を見ても、いまだ坂井泉水さんの死因にはナゾが多く、惜しい気持ちが溢れます。
ここでは、ZARD(ザード)坂井泉水さんの死因は本当に転落事故だったのか?事故現場写真などを交えながらその真相を検証してみます。
▼デビュー30周年のZARD、ついにサブスク解禁▼
ZARD(ザード)坂井泉水の死因は脳挫傷って本当?
ZARD(ザード)の坂井泉水さんの死因は『脳挫傷』と公表されています。
※脳挫傷(のうざしょう)とは、頭部を強打し外傷を受けた際、頭蓋骨内部で脳が衝撃を受けてしまう状態のこと。 wikipedia
坂井泉水さんは2007年(平成19年)5月26日朝5時40分頃、入院先の病院内スロープから3メートル下に転落、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見されました。
すぐに集中治療室で緊急処置がされましたが、翌日の5月27日午後3時10分、40歳という若さで帰らぬ人となってしまった坂井泉水さん。
死因は
『後頭部強打による脳挫傷のため』
とされています。
ZARD(ザード)坂井泉水はなぜ入院していた?事故現場は?
ニュース報道によると、坂井泉水さんが亡くなったのは、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場にある非常用スロープ。
でも、そもそもなぜ坂井泉水さんは入院していたんでしょうか。
病魔と闘っていた坂井泉水さん
実は坂井泉水さんは、2000年以降からたびたび病魔に悩まされていました。
子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症などでの闘病を経て、2006年4月に子宮頸がんが発見され、手術後、同年7月にいったん退院していました。
ところが、2007年4月に肺に転移しているのが発見、以降はずっと抗がん剤治療中だったと言います。
子宮を摘出してもなお、肺への転移というのは、病状として「かなり厳しい」と考えざるをえない状況だったと思います。
まだ40歳という坂井泉水さんの年齢や、日本のがん治療の状況を考えると、おそらく強い抗がん剤を使って、がんを根絶する可能性に賭けた治療をされていたのではないでしょうか。
きっとご本人にとって精神的にも肉体的にも想像を絶するほど耐えがたい状況だったに違いありません。
長引く闘病生活、落ちていく体重、抗がん剤治療の苦しさ…もしかしたらそんな状況に耐えられなくなって、自ら…?
そんな思いが、どうしても巡ってしまいます。
ZARD(ザード)坂井泉水の死因の真実!不自然と言われる理由
スロープから転落し、頭を強く打ち付けて『脳挫傷』で亡くなったとされる、坂井泉水さんの本当の死因。
音楽関係者は
といい、もちろん自ら自発的に飛び降りた…という説は完全否定しています。
スロープから転落したことは間違いない事実ですが、それが
偶然の事故だったのか・または自発的だったのか?
という点については、今だに謎が多いままです。
坂井泉水さんの死因が不自然と言われる理由1)長い闘病生活中だった
2007年5月26日に亡くなってしまった坂井泉水さん。
2000年以降たびたび病魔に悩まされていたというのですから、どれだけ長く病魔と闘っていたのか想像を絶するものがあります。
そんな矢先の突然の転落死。
しかも、坂井泉水さんの癌が公になったのも、死亡ニュースと同時だったこともあり、ファンにとっては本当に衝撃的なニュースでした。
今はブログなどSNSで闘病生活を綴ったりする芸能人もいますが、坂井泉水さんは一切そのような活動はしないアーティストだったんですね。
やはり、度重なる病気との戦いの中で、精神的に弱り、うつ病も発症していたのでは?という憶測が出てしまうのは自然なことかもしれません。
坂井泉水さんの死因が不自然と言われる理由2)早朝で雨が降っていた
慶大病院の関係者のコメントによれば、
という見方もあります。
駐車場のスロープを乗り越えたり、わざわざ非常通路を通る…というのも『散歩中だった』と説明するには、かなり不自然な場所と言わざるを得ません。
坂井泉水さんの死因が不自然と言われる理由3)手すりを乗り越えた痕跡も?
事故現場となった駐車場のスロープ。
手すりの高さは1.2mあり、坂井泉水さんは身長165cmなので、そんな高さの手すりを超えて落ちるとなると…。
やはり「自発的に乗り越えたのでは?」と考えてしまいますね。
警視庁の発表によれば、坂井泉水さんがわざわざ「手すりを乗り越えた痕跡が見つかっている」との発表もあったとのことで、
やはり「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾していいます。
坂井泉水さんの死因が不自然と言われる理由4)3メートルでは低すぎる?
しかしながら、
という捜査関係者の声もあります。
坂井泉水さんが【自発的に】手すりに腰掛け、【偶然に】誤って転落した可能性もありますが、目撃者もないことから、
当時の坂井泉水さんの心理状態について断定することは、誰にもできないのではないでしょうか。
このように、
- 早朝
- 雨が降っていた
- 駐車場のスロープを散歩中?
- 手すりを乗り越えた跡がある
- 目撃者がいない
などの理由が重なり、坂井泉水さんが
「駐車場スロープの3メートル下に転落死していた事実」
について、自発的だったのか偶然だったのか誰も説明が出来ないし分からない…ということですね。
もともと滅多に表舞台へ姿を見せず、SNSなどとも無縁だった謎が多き孤高のシンガー・坂井泉水さんの最期もまた、沢山の深い謎で包まれたまま…ということです。
ZARD(ザード)坂井泉水プロフィール
本名:蒲池 幸子(かまち さちこ)
出身地:神奈川県平塚市
血液型:A型
生年月日:1967年2月6日
没年月日:2007年5月27日(40歳)
出身高校:神奈川県立伊志田高等学校
最終学歴:松蔭女子短期大学
職業 ミュージシャン/歌手/作詞家/モデル (初期)
活動期間 1989年 – 2007年
ZARD公式サイト↓
http://wezard.net/
事務所グッズ販売公式サイト↓
http://musing.jp/shop/zard/#grocery
《関連記事はこちら!クリック↓》
元モデル&レースクイーンだった坂井泉水さん
坂井泉水さんはアーティストとしてデビューする前、モデル・レースクイーンとして約2年活動していたことがあります。
ちなみに、1990年(平2)日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーン時代は、岡本夏生さんと同期でした。
画像引用:http://moogry.com
実際に「坂井泉水 岡本夏生」と検索すると、いくつか当時の動画や画像もアップされていました。
20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動していましたが、歌手になる強い希望が叶い、1991年2月「ZARD」のボーカルとして歌手デビュー。
ZARDの作詞・ボーカルなどを担当し、楽曲には
- 「負けないで」
- 「揺れる思い」
- 「マイフレンド」
など、多くのヒット曲を生み出しました。
テレビ出演が少ない謎の多いアーティスト
歌手デビュー後、ヒット曲も多いにもかかわらずメディア露出が極端に少なかったため、ミステリアスな印象も強かったZARD(ザード)と坂井泉水。
90年代の同時期に全盛期だった女性歌手と言えば、大黒摩季さんもいらっしゃいましたが、
大黒摩季さんも坂井泉水さんもあまりにテレビ出演がないため、
この二人は本当に実物する人物なの?
とまで当時は言われていましたよね。
女性アーティストのメディア露出を極力抑えるメディア・コントロール戦略が取られていたとも言われていますが、
単純に坂井泉水さんが極度のあがり症だったとも言われていて、6thシングル「負けないで」で大ブレイクした後は、ライブさえ殆ど行っていませんでした。
ZARD(ザード)坂井泉水に同棲した彼氏がいた!?
生涯独身で孤高のシンガーと言われた坂井泉水さんですが、お付き合いされていた男性など一切噂がなかったのでしょうか?
実は、不確定情報ではありますが、坂井泉水さんの歌詞や楽曲の世界感は、
デビュー前に同棲していた「元カレ」の存在が大きかったのではないか?
と思われる貴重な話をネット上で見つけました。
まだ坂井泉水さんがデビューする前の20代の頃、海岸沿いのアパートで同棲を2年して別れた元彼がいたようです。
その方の名前は、神田樹希(たつき)さん。
神田樹希さんは、坂井泉水さんが亡くなった半年後の2007年11月に
「僕だけがまだ生きてる、その意味を君が僕に教えてよ。」
という書籍を出しています
本の内容はというと、
「大切な人を逝くし、僕らには何ができるのだろう。この本には大切な人を失った時の孤独の中でしか手に入れられない温もりがあります。
…彼女はまっすぐに生きた人でした。彼女のひたむきで飾らない美しい生き方は多くの人を励まし、魅了しました。それが突然の死によってぷっつりと終わってしまった。そのことは残念でなりません」
名指しこそしていませんが、この彼女こそ、坂井泉水さんを思わせる内容なんだとか。
神田樹希さんのプロフィールは、代表取締役を務めていらっしゃる出版会社のホームページにありました
株式会社樹希社 代表取締役 神田樹希
1965年生 立命館大学経営学部卒業
学生時代にイベント企画会社とプログラミング事業を創業。
1993年デザイン事務所を創業。現在まで約30年間に3万点を超えるデザイン、コピーライティング、ブランディング、商品開発に携わる
実際に、ZARDの歌詞には誰かにあてたメッセージ「海岸沿い」「二人で夢見たあの頃」といった歌詞があり、
神田樹希さんが「彼女」に書いたこの本には、坂井泉水さんの魅力やZARDの詞の世界を垣間みる場面が随所にちりばめられています。
もちろん、本当にお付き合いをされていた証拠はないため、疑う声も少なからずありますが、ファンの間では概ね事実だという認識だそうで、
本のレビューにも出版してくれたことへの感謝のコメントが沢山ありました。
神田樹希さんは現在は既婚者ですが、学生時代はかなりのヤンキーぶりで、坂井泉水さんとの恋愛の中で次第に更正し、自らも壮絶な闘病体験もされて、現在に至っている様です。
人の人生をも更生させる坂井泉水のピュアな人柄や魅力、本当に惜しい人を失ったと改めて思いました。
ZARD(ザード)坂井泉水は永遠に
「揺れる想い」「負けないで」など、100万枚を超えるヒット曲など、152曲もの楽曲を作詞した坂井泉水さん。
デビューから40歳で亡くなるまで16年間、毎日のように書き溜めた膨大なメモも残されていて、恥じらいや嫉妬、劣等感など自分の心の弱い部分など、色んなことが綴られていると言います。
もともと石川啄木が好きな文学少女だったという坂井泉水さんは、音楽を通して、一見恋愛ソングに聞こえる歌詞も、
実は人生の「何か」大事なことを伝えたかったのでは?と受け取れる歌詞が多くあるように思います。
坂井泉水さんの死から、2019年で12年を迎えます。
ファンクラブ会員はデビュー当時を知らない10~20代も含め増加していて、今なお幅広い年齢層に支持されています。
2017年08月には、アルバム『ZARD Forever Best~25th Anniversary~』も発売されるなど、今なお注目され、ファンの心に永遠に生き続けています。
▼ZARDの代表曲52曲も収録のベストアルバム!数量限定初夏バージョンはこちらです▼
▼2019年10月に発売された坂井泉水さんドキュメントブック!未公開写真90点や自筆の書き残した歌詞の創作メモも収録。「楽天限定カバー」は無くなり次第終了!お急ぎください!
ファン待望の坂井泉水さんのオフィシャルドキュメントブック『永遠 ~君と僕との間に~』が2019年10月ついに発売決定!
2007年に出版され、絶版となってしまった『きっと忘れない』の完全版です。
坂井泉水さんが亡くなってすでに12年も経つのに、再度オフィシャルブックが発売されるなんて、私も含めてそれだけ彼女の根強いファンが大勢いるということですね!
通常版のカバーの上から「楽天限定カバー」が巻かれている、坂井泉水さんがじっとピアノを見つめている真剣な表情の限定版を購入できるのは、今のうちですよ!
ZARD(ザード)坂井泉水の死因や事故現場!脳挫傷は本当?まとめ
ZARD(ザード)坂井泉水さん死因は『脳挫傷』、2007年5月27日(40歳)当時の事故現場の状況など検証してみました。
長引く闘病生活、落ちていく体重、抗がん剤治療の苦しさ…
そんな中でも、坂井泉水さんの生前の音楽への情熱や、今なお多くの人々の心に生き続けていている坂井泉水さんの歌声がある事実を考えると、
ギリギリまでがんと闘っていた坂井泉水さんの「最後の死因」が、本当に事故死だったか?ということを突き止めることに、筆者はあまり意味がないことかも?と感じました。
これからも坂井泉水さんの素晴らしい歌は、人々の記憶の中で永遠に生き続けるのだと思います。
▼デビュー30周年のZARD、ついにサブスク解禁▼
《関連記事はこちら!クリック↓》