桂宮宜仁親王は事実婚でパートナーがいた噂?若い頃エピソードも!

父三笠宮崇仁(たかひと)さま、母百合子さまの次男としてお生まれになった桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう)。

39歳で異例の独身宮家を創立したわずか半年後の40歳で倒れ、

リハビリを続けながら車椅子で公務に携わり、

66歳で亡くなられた※のは2014年6月8日のことでした。

「独身皇族として戦後初の宮家」

として、また

「車いすの宮さま」

の愛称で福祉活動に心を注がれ、国見から親しまれた桂宮さま。

宜仁さまにまつわる、野次馬話を集めました!

※正確には「亡くなった」「逝去」は「ご薨去(こうきょ)された」という言い方が正しいそうです

桂宮宜仁親王は事実婚でパートナーがいた噂?

生涯独身をつらぬかれた桂宮さまですが、

実は事実婚状態のお相手女性と子供もいた?との噂があります。

ネット情報によれば、お相手は、離婚経験のある一般女性(女官)で、

一説には、成婚すると妃殿下といての立場になるため、

離婚歴がネックになる可能性を考慮して、内縁関係を選択したとの説も。

ネット上では隠し子もいたとか、女性の名前を特定するような書き込みも散見されましたが、

全て憶測の話で、真実かどうかは分かりません

亡くなられた方の噂をあまり詮索することはよくありませんね。

ご冥福をお祈りいたします。

桂宮宜仁親王の性格は?

元側近の方々によると、桂宮様の性格は

「明るくざっくばらん」

「質素だった」

と、今でもお人柄を偲ぶ声が多いそうです。

「桂宮」という新宮家で独立したものの、巨額の経費がかかる宮邸新築は遠慮し、

最後まで東京都千代田区三番町の手狭な宮内庁分室に住み続けられました。

20年近くご自身も車いすでの闘病・リハビリの生活を強いられながら、

福祉関係の公務には特に心を注がれ、障害者スポーツ大会や高齢者施設で、人々を励まし続けられました。

「ひげの殿下」として親しまれてきた兄寛仁さまのような豪快さは無かったものの、

別の親しみやすい持ち味で国民と皇室の接点となり、

国民に寄り添い、多くの国民から愛された御生涯でした。

桂宮宜仁親王の若い頃!独身を貫いた理由

桂宮さまは、お若い頃は学業は優秀で、趣味も多彩。

ビートルズが好きでバンドを結し、国産スポーツカーを駆りF1レースなどにもめっぽう詳しい一面もあったそう。

大学卒業後、85年に持病の心筋症が見つかるまで、

NHK嘱託職員として10年余りサラリーマン生活も経験されました。

コミュニケーション上手で趣味も多い桂宮さまが、

独身を貫かれた本当の理由は、いくつかご本人のコメントが残されています。

皇族の大変さを考慮

桂宮さまは、日頃から

“皇族が結婚することは苦しむ人間を一人増やすことだから自分は結婚しない“

とはっきりインタビュー記事で述べているのは、

所功著『日本の宮家と女性宮家』(新人物往来社・2012年)という書籍。

女性宮家の創設をめぐる賛否両論の論考集です。

ほかにも、桂宮さまは幼少期の学友から

「お前なんか税金で食わせてやってるんだ」

「税金泥棒」

など暴言を浴びせられたことがトラウマになったことも、

“皇族が結婚すれば不幸な人間が増える”

というお考えにつながったとか。

「ひげの殿下」として親しまれてきた兄寛仁さまも、

“皇室はストレスの塊のようだ“

とインタビューで答えたこともあり、

菊のカーテンの裏側も、現代社会と同じようにストレスの多い世界なのでしょう。

華やかで優雅なイメージの皇室。

でも、いろんな規範やしきたりの中で、日本国民の象徴としての公務を続ける大変さは、

ご本人たちしか分かりません。

桂宮宜仁親王のご病気と障害

桂宮さまの人生は病気との戦いの人生でもありました。

異変が起きたのは1988(昭和63)年5月26日、

桂宮家を創立し一人暮らしを始めてわずか5カ月後のことでした。

倒れた原因は、前日転倒したためか、持病の心筋症の発作かは不明ですが、

頭を強打したため、硬膜下血腫切除の緊急手術で奇跡的に一命をとりとめました。

昏睡状態が続き、意識が戻られたのはなんと3カ月後。

体の自由がほとんどきかなくなり、26年間に及ぶ闘病生活の始まりでした。

ちなみに「急性硬膜下血腫」とは、誤って転倒すれば誰にでも起こりうる怖い症状。

頭部の強打により脳挫傷で脳から出血するもので、

死亡率はきわめて高いと言われています。

桂宮様は、当時、右顔面、右肩、腰に打撲があったという状況からも、

転倒・転落などの事故があったと推測されます。

賢明なリハビリの甲斐もあり、事故から3年後の1991年(平成3年)11月には公務に復帰。

以降、右目の視力の喪失、記憶障害、右半身の麻痺といった後遺症を抱えつつも、

車椅子で公務を続けておられました。

桂宮宜仁親王プロフィール

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宮号 桂宮(かつらのみや)
全名 宜仁(よしひと)
身位 親王
出生 1948年2月11日
死去 2014年6月8日(66歳没)
父親 三笠宮崇仁親王
母親 崇仁親王妃百合子

三笠宮崇仁親王第2男子として誕生された桂宮さま。

令和時代の徳仁(第126代天皇)は従甥、明仁(上皇)は従兄にあたります。

兄に寬仁親王、弟に高円宮憲仁親王、姉に近衞甯子、妹に千容子の5人兄弟。

学位は政治学士(学習院大学)。

桂宮さまは、1971年に学習院大学法学部政治学科を卒業後、

1974年~1985年までNHKに嘱託として勤務。

1988年、独身のまま桂宮家を創設して独立、そのわずか5か月後に急性硬膜下血腫で倒れ、

以後、車いすでの生活を送られることに。

懸命なリハビリを続け、1991年に公務に復帰されました。

まとめ

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