安室奈美恵さんは、1999年21歳の時、実母・平良恵美子(たいらえみこ)さんが、
事件現場である沖縄県国頭郡大宜味村で、
「ナタ」でメッタ刺しにされるという、衝撃的な痛ましい事件がありました。
犯人の平良謙二(たいらけんじ)は、平良恵美子さんの再婚相手の実弟、
つまり安室奈美恵さんにとっては、血のつながりのない「伯父」でした。
安室奈美恵さんは事件からわずか12日後、歌番組『HEY×3』に生出演、
日本中が息をのんで、安室奈美恵さんの様子を観ていた中、
ダウンタウンと安室奈美恵さんとの間に、深い信頼関係が垣間見えれた会話のやり取りが、
私は今でも忘れられません。
たった21歳の女の子。どれほどの辛い出来事だったんでしょう。
安室奈美恵さんは、涙一つ見せずに見事に歌を歌いあげる様子をテレビで観ていて、
当時私は、彼女の強さとプロ意識の高さに鳥肌が立ったのを覚えています。
結局、あの痛ましい事件の動機は何だったのか、安室奈美恵さんの事件後の変化なども振り返ってみたいと思います。
安室奈美恵の母親平良恵美子さんについて
安室奈美恵さんの母親・平良恵美子(たいらえみこ)さんは、一男二女(安室奈美恵さんは末っ子)を出産していますが、安室奈美恵さんが4歳の時に離婚。
離婚後、母・恵美子さんは夜はスナックで働き、女手一つで安室奈美恵さんら3人の子供を育てていました。
In deeprest sympathy…
7/Mar/1999平良恵美子さん pic.twitter.com/GTXxLckx7C
— eriAMURO (@eriAMURO_loveFE) March 17, 2016
安室奈美恵の母親のはハーフ・人生や生い立ちも壮絶だった
安室奈美恵の母親の名前は平良恵美子(読み方:たいらえみこ)さん。
1998年9月に扶桑社から
【約束ーわが娘・安室奈美恵へ-】
を発刊し、大きな反響を呼びました。
↓安室奈美恵さんの母平良恵美子さんの著書「約束」↓
【本のレビュー内容】
娘さんは日本中の皆から愛されるスーパースターとして、頑張ってます。
これからもずっと、天国から見守ってあげて下さいね… この本が出版されてから、すぐに亡くなってしまったんですね、
読み始めから最後まで、涙がとまりませんでした。
安室ちゃんのお母さんが本当の安室ちゃんの性格を語っています。
いかに子供のころからストイックで頑張り屋さんだったか……
安室奈美恵は歌って踊る為に生まれてきたんだと確信しました。
安室ファンなら絶対に読んでほしいです。
この著書の中で、安室奈美恵の母・恵美子さんは自らの生い立ちを赤裸々につづっていてます。
著書によると、安室奈美恵の祖母にあたる清子さんとイギリス人の軍人との間に生まれたのが安室奈美恵さんの母・平良恵美子さんでした。
沖縄出身の会社経営者と結婚し、安室奈美恵の兄と姉、そして安室奈美恵を生んだものの、離婚。
自分の母親である清子さんと同じ道を進むかのように、昼間は保母として働き、夜はスナックでの仕事をしながら懸命に子供たちを育てていました。
そして1998年、安室奈美恵が芸能界で一躍トップスターになったことに感激し、出版社のすすめもあって自伝的著書【約束】を書いたのです。
しかし、出版からわずか半年後、誰もが予想しなかった事件の犠牲者となることに…。
安室奈美恵の母親事件の真相!犯人は義理の叔父
1999年3月17日、安室奈美恵の実母・平良恵美子さんは義理の弟によって命を奪われました。
安室奈美恵さんが14歳の時、母・恵美子さんは平良辰信さんという男性と再婚していましたが、再婚相手の夫の弟である平良謙二に殺害されてしまったのです。
つまり犯人は、安室奈美恵さんの血のつながりはない義理の叔父でした。
事件現場は沖縄県国頭郡大宜味村。
自宅から外に出た恵美子さんと、夫の平良辰信さんが横断歩道を渡っていた際、突然車が突進してきたのです。
恵美子さんはその場で車にはねられてしまい、夫の平良辰信さんが駆け寄ったところ、なんと車はUターンで戻ってきて、今度は夫の平良辰信さんがはねられました。
そして車から、義理の弟・平良謙二が下りてきましたが、その手には恐ろしいことに「ナタ」が握られていて、母恵美子さんと平良辰信さんに襲い掛かってきたのです。
平良謙二は、車で現場からそのまま逃走、事件から4時間後に山の中で農薬を飲み、自死しているのが発見されました。
平良恵美子さんの死因
安室奈美恵さんの母・恵美子さんの死因は、
頭部打撲によるくも膜下出血
「ナタ」でなんども顔を傷つけられ、意識不明のまま救急搬送された恵美子さんでしたが、心肺停止状態に。
事件同日の1999年3月17日午前11時48分、帰らぬ人となってしまいました。
犯人・平良謙二の動機は?
事件当時、マスコミはこぞって、
「カリスマ女性シンガー安室奈美恵の親族の悲惨な事件」
と連日報道。
しかし、このような凶悪な犯行に至った動機が不明なまま、犯人は死亡。
叔父(平良謙二)の動機は何だったのか
- 逆恨み説
- 兄弟不仲説
- 三角関係説
- 安室奈美恵のマネーを巡る説
- 結婚反対され逆上説
などなど、憶測が憶測を呼び、マスコミの報道合戦を加熱させ、連日のようにニュースになり、見ているだけで胸が痛かったのを覚えています。
動機は金銭トラブル&三角関係?
動機として一番有力な説だったのは
などが言われました。
事件後、夫である平良辰信さんは、
「弟(死亡した犯人の平良健二)に付き合ってる女性がいたが、自分と恵美子が強く結婚を反対していた。結局その女性が身を引く形になったが、弟はそれを恨んで、自分と恵美子を殺そうとしたのでは」2012年1月28日 週刊アサヒ
ともコメントしていますが、
加害者が自殺したために、犯行の動機は未だわからず、真相は永遠に藪の中になっています。
実際のところは、安室奈美恵さんがあまりに有名になり、かなりお金も稼いでいたため、そのお金に“たかろうとしたこと”が一番動機として濃厚な理由と言われています。
この事件は、安室奈美恵さんの心を大きく傷つけてしまいました。
安室奈美恵の母親事件・その後いつ仕事に復帰?
安室奈美恵さんの母親事件では、犯人が身内でしかもすでに死亡。
真相や動機が明らかにならなかったことで、報道はかなり過熱し、沖縄の空港や火葬場までもマスコミが駆け付け、安室奈美恵さんが気の毒なくらいでした。
安室奈美恵に向けたダウンタウンの優しさとは
しかし安室奈美恵さんは、事件が起きてたった12日後の、1999年3月29日『HEY! HEY! HEY!』の生放送に出演、見事に仕事復帰を果たしています。
「すいません、ご心配おかけしました、元気です」
とコメントし、気丈に振る舞い、
涙一つも見せずに、見事に「respect the power of love」を歌い上げました。
当時の旦那SAMやファンに支えられてたとはいえ、当時まだ21歳の女性がです。
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私もちょうどこの時、生放送を見ていましたが、今考えても彼女の強さとプロ意識はハンパではありませんね。
歌い終わった瞬間の会場からの大声援は忘れられません。
安室奈美恵さんに対し開口一番、MCのダウンタウンの松本さんは
「いやーこれは絡みづらい!」
と言って、浜田さんも同調。
会場は一瞬緊張感が走りますが、その後すぐに、
「おっちゃんたちには何もできひんけどなぁ……」
と彼女の気持ちに寄り添うような発言もしていました。
後に語り伝えられるところでは本番前に、松本さんが安室奈美恵さんに
「俺が助けたるからな。絶対に辞めたらあかんで!!」
と激励したとされています。
それくらいのフォローをしていないと、あんなに安易に接することは出来ないと思いますし、松本さんだから出来た接し方ではないでしょうか。
安室奈美恵さんは当時『HEY×3』には出場記録1位の54回を誇っていて、ダウンタウンにとっても、彼女は一緒に番組を盛り上げてきた存在でもあったと思います。
あの大事件後に、さらっとした3人によるこの時の短いやり取りの中には、私は強い信頼関係のようなものが感じ取れました。
その日を境に、力強くキャリアの再スタートをきり、引退まで第一線で活躍し続けた安室奈美恵さんのプロ根性とダウンタウンの優しさには頭が下がります。
安室奈美恵・母事件以降の変化
安室奈美恵さんは
とも語っています。
そして、安室奈美恵さんは、母の事件が起きて以来、大きく変化したことがあります。
それは「テレビで涙を一切見せなくなった」ということ。
実は安室奈美恵さんはもともと涙もろい性格で、日本レコード大賞を受賞時や結婚発表後の歌番組など、歌唱中に感極まって泣いてしまうことが度々ありました。
しかし、母の事件で沖縄に向かう途中の羽田空港で涙する姿が報道されから、安室奈美恵さんは一切テレビで涙を見せなくなりました。
また「人前で話すことを極力しなくなった」ということもあります。
母の事件前は、歌番組にもよく出演し、プライベートな話もしていた印象だった安室奈美恵さんでしたが、事件以降テレビ出演は極力控え、ライブでもMCを一切行わないスタイルに。
では当たり前のツイッターやインスタグラムなどSNSを使って自ら発信することも、最後までありませんでした。
つまり、アーティストとして、彼女が語るものは“ステージそのもの”だったのです。
ステージこそが全て。歌とダンスで全てを伝えて、2時間以上ノンストップで歌い、ダンスをする姿は、もはやアスリートの域。
いろんな思いがあったと思いますが、安室奈美恵さんは母の事件で、必要以上に騒がれたマスコミに対する不信感も大きくなってしまったため
「あまり自分を見せないし情報も与えない」
という姿勢を最後まで貫いたように思います。
安室奈美恵のタテゥーに込めた想い
事件のあと、安室奈美恵さんは、母を忘れないために、左腕に大きなタテゥーを入れたと言われています。
そのタテゥーの文面がこちら。
my mother’s love live with me
Eternally in my heart R.I.P
rest in peace
MAR.17 in 1999
訳すと
母の愛は私と一緒に生きている
私の心の中で永遠に
安らかに眠れ
1999年3月17日(母・平良恵美子さんの命日)
残すにはあまりにも辛い過去ですが、安室奈美恵さんの母親の事件はあまりに悲惨すぎました。
安室奈美恵の魅力と強さとは
安室奈美恵さんの芯の強さや魅力の根源は、一体何だったのでしょう。
そのストイックさの原点を垣間見られるのは、やはり、母が執筆した唯一の本。
最後に、故・平良恵美子さんの著書
『約束―わが娘・安室奈美恵へ』
から貴重なエピソードを紹介します。
内気な少女・安室奈美恵
安室奈美恵さんの幼少期は、とにかく内気でいつでも陰に隠れているタイプ。
ごくふつうのおとなしい子で、目立たず地味な子でした。
そんな安室奈美恵さんが、沖縄のアクターズスクールにスカウトされたのは有名な話。
友達に誘われて見学に行ったとき、直接マキノ正幸校長から猛烈にスカウト。
何か「ピン!」とくる、スター性が、すでにあったのでしょう。
特待生として入学し、徐々に安室奈美恵さんの意志の強さが芽生えだします。
中学校に入学すると、ますますダンスにのめり込み、勉強よりもダンスダンスの日々。
ジャネット・ジャクソンに憧れる
ジャネット・ジャクソンに憧れていた安室奈美恵さん。
中学校に入学すると、ますますダンスにのめり込み、勉強よりもダンスダンスの日々。
とうとう出席日数が足りず、中学校卒業が危うくなり、母は学校に呼び出されました。
「このままじゃ、卒業できませんよ」
と、先生に厳しく言われたとき、安室奈美恵さんはハッキリとこう言いました。
「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、立派にやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです」
引っ込み思案だった少女が、いつの間にかとんでもない芯の強さを身につけていたのです。
東京への旅立ち
1992年中学2年生の時、スーパーモンキーズとしてのデビューが決まり、東京に旅立つ日。
でも母親・平良恵美子さんは、まだ東京行きに反対していて、とうとう母と娘は衝突してしまいます。
「行っちゃだめ!絶対にだめ!」
「行く!絶対に行く!」
結局、安室奈美恵さんは涙をぽろぽろ流しながら
「絶対に成功するから…!」
という言葉を最後に、故郷の沖縄から東京へ飛び立ちました。
下積み時代からのレコード大賞受賞
「3年で音を上げて帰って来る」と思っていた母。
「3年後を見ていろ」と思っていた娘。
そして「TRY ME〜私を信じて〜」がヒット。1996年デビューから4年目で「Don’t wanna cry」でレコード大賞を受賞。
「いろいろなことが走馬灯のように頭の中をよぎりました。ミルクを飲まない赤ちゃんの頃、元気にはしゃぎ回っていた子供の頃、貧乏のどん底にあっていじけていた頃、アクターズに通っていた頃、そしてなにより、中学卒業と同時にボストンバッグひとつで家を飛び出していった後ろ姿……。」
前人未到の大記録
2018年、引退発表後に発売されたベストアルバム『Finally』は売り上げ180万枚を突破。
そして、10代、20代、30代、40代の4世代連続でミリオン達成という前代未聞の金字塔を打ち立てた安室奈美恵さん。
周りが「絶対に無理だ」と言っていたこともひとつひとつ実現していった安室奈美恵さん。
“安室奈美恵の強さ”の原点は、母への強い感謝の想いがあったからだと思います。
↓安室奈美恵さんの母平良恵美子さんの著書「約束」↓
安室奈美恵プロフィール
【生誕】1977年9月20日
【身長】は158cm
【血液型】O型
【出身】沖縄県那覇市出身
【活動】1992年~
2017年9月16日デビュー25周年を迎えましたが、2018年9月16日をもって芸能界を引退されました。
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安室奈美恵の母事件の犯人は?動機は金銭トラブルと三角関係?まとめ
想像を絶する悲しい過去を乗り越えて、歌手として、そして母親として奮闘してきた安室奈美恵さん。
引退されたのは寂しいですが、今後は、肩に背負った重荷をいったん降ろして、
これからは一人の女性として、自分の人生を幸せに生きていってほしいですね。
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