三笠宮百合子さまは、
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)のお妃で、
2021年には98才のお誕生日を迎えられました。
百合子さまは、明仁さま(現・上皇陛下)のおばで、
存命の皇族の中では最年長者でいらっしゃいます。
百合子さまのお若い頃は、さぞかし可愛らしい方だったと想像しますが、
どんな家系のお嬢様だったのでしょう。
三笠宮百合子さまの若い頃が可愛い!【動画&写真】
▼2016年1月新年参賀・三笠宮崇仁親王(100歳)と妻百合子さま
百合子さまの夫は、2016年(平成28年)10月27日、満100歳で薨去(こうきょ)された、
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)。
生年月日:1923年6月4日(98歳)
旧名:高木 百合子(たかぎ ゆりこ)
学歴:学習院女子高等科卒
▼1941年(昭和16年)ご成婚
▼1957年デンマーク・コペンハーゲンの空港にて
1941年(昭和16年)10月22日、三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)とご結婚された百合子さま。
- 三笠宮さま24歳
- 百合子さま18歳
のときで、第二次世界大戦の混乱期、
白黒写真からも、ずいぶんと時代を感じますね!
ちなみに、昭和39年に常陸宮さまとご成婚された華子さまのご成婚時の動画は残っていましたが、百合子さまのご成婚時の動画は、さすがに見つけることが出来ませんでした。残念。
2011年、宮内庁が発表した
『崇仁親王同妃両殿下ご結婚満70年に際してのご感想』
では、宮内庁を通じて、以下のようにお互いのご感想を述べられていました。
《崇仁親王殿下》
顧みれば,70年間,陰になり日なたになり私を助けてくれたのは,何といっても妻百合子であった。(中略)
妻は華族の出身であるが,皇族の生活は一段と厳しく,忙しいから,留守を守っていた妻の労苦は並々ならぬものであったに違いない。
(中略)
その後,半世紀,妻は親王妃としての公務を果たしながら,5人の子供の世話や教育を一手に引き受けてくれ,しかもそれを見事に果たしてくれたのである。
今静かに過去の70年を振り返ってみるとき,百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである。
《崇仁親王妃百合子殿下》
昭和16年秋思いも掛けぬ御縁で宮家に上がった何のわきまえもない18歳の私を,宮様のお母宮様(貞明皇后),お兄宮様方(昭和天皇,秩父宮様,高松宮様),お姉君様方に温かく迎え入れていただいたことは有り難いことでございました。(中略)
結婚後間もなく戦争が始まりだんだん空襲がひどくなり,住居も焼夷い弾で全焼,そして敗戦。終戦後の混乱期が続きました。世の中が落ち着いてくると種々の行事が増して外出,旅行も多く,この間に5人の子供に恵まれましたので,毎日時間に追われて暮らしておりましたから,70年もたったとは思えません。
余り頑健でない私を,いつもいたわってくださった宮様のおかげで今日まで長生きできましたこと感謝の言葉もございません。
引用:宮内庁
ご結婚時、百合子さまは、学習院高等科を卒業したばかり。
三笠宮さまは、陸軍大学校の学生で、間もなく戦争がはじまり、
皇族であっても、庶民と同じく厳しい生活の中で、
ご夫婦は、5人の子供を育ててこられました。
大変な時代を一緒に生き抜いてきたお二人だからこそ、
夫婦の絆は深く強いものでいらっしゃったのでしょう。
三笠宮百合子さまの家系図!実家や家柄は?
引用:皇室の構成図│宮内庁【元データPDFはコチラ】
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)のお妃で、
2021年には98才のお誕生日を迎えられた百合子さま。
明仁さま(現・上皇陛下)のおばで、存命の皇族の中では最年長者でいらっしゃいます。
百合子さまの実家は旧華族!父母の家系は?
百合子さまの旧名は高木百合子。
ご実家の家柄は、華族・高木正得子爵の二女としてお生まれになりました。
高木家は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武家で、父の高木正得は昆虫学者でした。
母・邦子は入江為守子爵の娘で、弟(百合子さまの叔父)がエッセイストとして有名な入江相政氏。
学歴も家柄も素晴らしく、満場一致のお見合い結婚!やっぱり、皇族のご結婚ってこうあってほしいわ(笑)
三笠宮百合子さまの子供は5人(息子三人娘二人)
皇族御用達の学習院で幼稚園~高等科まで学ばれ、
高等科卒業後すぐに、納采の儀を経てご婚約されました。
百合子さまと、三笠宮崇仁親王には5人のお子さんがいらっしゃいます。
長女:近衛甯子(甯子内親王)
長男:寬仁親王(66歳没)
次男:桂宮宜仁親王(66歳没)
次女:千容子(容子内親王)
三男:高円宮憲仁親王(47歳没)
三笠宮さまご夫婦は、
’02年に三男の高円宮さま、’12年に長男の寬仁さま、’14年に桂宮さまと相次いで3人の男のお子さまに先立たれ、
とてもつらい思いをされたのではないでしょうか。
若くして亡くなった三男の憲仁さま、独身を貫いた次男の宜仁さま、
そして、長男の寬仁さまご一家の残された母娘(信子さまVS彬子さま&瑶子さま姉妹)の対立には、三笠宮崇仁親王も百合子さまも、ずっと心を痛められていたようです。
三笠宮百合子さまの人柄や性格は?
百合子様のお人柄や性格については、現在では直接の肉声を拝聴したり、ご公務などお出ましの機会が無いため、国民は知る由もありません。
ただ、戦前から夫《崇仁親王殿下》とともに5人のお子さんを育てながら、
皇室を80年以上支えてこられた百合子さま。
アルコール依存症を患っていた長男の寬仁親王がお若い頃は、
《人身事故を起こしたら「自動車の運転を辞める」》
と、事前に母親の三笠宮妃百合子さまと約束していて、
実際にオートバイとの接触事故後、
運転免許証を東京都公安委員会に返納した経緯もあります。
子供に対して甘やかすことなく、厳しくモノを申す百合子さまの母親像が想像できますね。
これからも最年長者の皇族として、皇室を守っていく心強い存在でいていただきたいと思います。
▼百合子様が「眞子、邪魔よ!」の「しっし」の噂はこちら
まとめ
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