新元号とともに「雅子皇后」になられた雅子様。
国賓トランプ大統領との「皇室外交」鮮烈デビューは鮮やかでしたね!
ですが、
「雅子様に皇后はやっぱり無理?」
「画像を見るかぎり雅子様に皇后をさせるのは異常だ」
と一部ではまだ不安な声もあります。
それは雅子様が長年患っておられる「適応障害という病気」が関係しています。
ご無理はせず、雅子様らしく輝いていただきたいです。
実際の雅子様の画像とともに、雅子皇后の現在のご様子や、
ご病気を発症してしまった原因と経緯、「皇后様のご公務内容」について見ていきましょう。
雅子様に皇后は無理なの?
2019年5月1日、平成から新しい元号になると同時に
「徳仁(なるひと)天皇」
「雅子皇后」
が誕生しました。
新皇后陛下となる雅子妃殿下は、美智子さまからバトンタッチということですね。
これまで美智子さまは驚くほどの激務をこなされてこられましたが、
という心配と懸念の声もあります。
それもそのはず、
雅子様は2003年以降、あるご病気が原因で、ご療養が16年目にもなる現実があるためです。
皇室の話題に関心がない人でも
「雅子様って旦那様の皇太子さまや他の皇室の人に比べて、極端にメディアの前に登場されないな」
「皇太子さまのご公務って、いつも皇太子さまお一人のことが多いかったな…」
というイメージくらいは今まであったかもしれません。
雅子様の、あるご病気とは何だったのでしょうか。
雅子様が皇后が無理な理由や原因は?16年にわたる闘病
雅子様のご病気とは「適応障害」。
という事実が、宮内庁から正式に公表されていました。
雅子様、思い描いていた「転職先」では無かった?
雅子さまは、
米ハーバード大卒→東大→外務省
という抜群の経歴の持ち主でした。
1993年に皇太子さまとご成婚が決まった時も
“究極のキャリアウーマン“
“エリート中のエリート女性“
と紹介され、美人でケタ外れな才色兼備の女性が「皇室に嫁ぐ」という事実は、世の中のキャリアアップ思考の総合職女性にも、当時少なからず影響を与えたはず。
《関連記事はこちら!クリック↓》
きっと雅子様にとっては「皇室へ嫁入り」でなく
「転職先の一つ」
「自分のキャリアアップのため」
とお考えだったんじゃないでしょうか?
実力さえあれば、男女の違いなど関係ない世界で、輝かしい経歴も実績もすでに雅子様は持ち合わせていたので、
「お妃の仕事もそつなくこなして、海外公務もバリバリやっていける!」
と、自信満々でいらっしゃったと思います。
そして、新しい皇室という“職場“で、どのようにしてご自分の強みを生かし、国際舞台で華々しく活躍される未来を、世の中も期待していました。
しかし、いざ「嫁いで」みると…
《“お世継ぎファースト”な皇室》
《伝統と慣習に対して厳格な皇室》
という壁にぶち当たってしまった雅子様。
・男の子を早く生まなきゃ…!
・言動・立振る舞いには気を付けないと!
・自己主張は好まれないことを受け入れなきゃ…!
雅子様は、今まで築いてきたキャリアや成功経験を活かすことができず、
思い通りに進まないジレンマで、皇室や宮内庁との溝が深まっていったと言われています。
2002年以降、雅子様の肉声が消えた
雅子様は、1999年に流産を経験されています。
そして2001年、敬宮愛子さまが生まれたとき、雅子さまは
と語り涙ぐまれました。
そして、8カ月後の2002年12月、ニュージーランド・オーストラリアを訪問会見で
と正直な心情を告白されました。
雅子様は、海外でバリバリ活躍するはずだった理想の自分と、「皇室」という異様な世界で閉じ込められている現実で、心身のバランスを崩してしまったんでしょうね。
色んな想いが、雅子様にはあったと思います。
以降、雅子さまの肉声が聞けることはほぼ無くなりました。
▼当時の貴重な画像が残っておりました(2:30~からのコメント)▼
2004年 皇太子様の「雅子の人格否定発言」
2004年(平16)5月、徳仁親王が訪欧を前にした記者会見で
とハッキリ発言し、大きな話題となりました。
海外育ち&国際派の雅子様と、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間で不和があることが、より一層世間にバレてしまったんですね(*_*;
これは後に、
「人格否定発言(じんかくひていはつげん)」
として、皇太子徳仁親王の御称号から「浩宮の乱(ひろのみやのらん)」とも呼ばれるまでに。
日本政府や国民に対して大きな衝撃を与え、メディアでもセンセーショナルに取り上げられました。
皇太子様は、結婚後の雅子様の心情に関して
と述べられ、具体的な、雅子様に対する人格否定の動きの詳細に関しては、
「細かいことは控えたい。なかなか外国訪問ができなかったことを、雅子も私もとても悩んだということをお伝えしようと思います。」
「私は、これから雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし、そのような環境づくりが一番大切と考えています。」
と言及されていました。
皇太子ご自身も、雅子様の素晴らしいキャリアと才能を生かしきれない皇室のあり方にずっと疑問を持たれていたという事ですね。
皇太子様も、お言葉を選んで発言されていらっしゃるとは思いますが、日ごろから皇室の体制に対するストレスが、相当たまっていたのでしょう。
そして、私たち国民が知り得ないほど、深く特殊な世界が「皇室」にはありそうです。
雅子様の「適応障害」の療養生活から16年。
適応障害の克服のためには、生活環境を変えて、心のストレスとなる素を根本から見直すことが一番の治療と言われています。
ですが、雅子様の場合は、お妃を辞めるわけにもいかず…
同じ環境の中で治療していかなければいけない事情も、ご病気が長引いた理由なのかもしれません。
雅子様が皇后が無理なのは異常な重圧?皇后のお仕事とは
「皇后の鏡」と言えば、美智子様。
日本の皇位は男系男子で継承されていきますが、女性皇族も重要な存在です。
最近は、眞子様・佳子様も公務に励まれる姿も頻繁にメディアで報じられています。
そんな女性皇族たちを導き、平成流の皇室を支えてきたのは美智子様。
美智子様のご尽力があってこそ、現在の国民と密接な皇室は作られたんだと思います。
美智子様がこなしてこられたお仕事の中には、古くから伝承されてきた重要な役目も多数あり、即位後に雅子様が引き継いで行なっていく必要があります。
まず、美智子様の役職として
“日本赤十字社名誉総裁”
“国際児童図書評議会名誉総裁”
がありました。
(“日本赤十字社名誉総裁”については、2019年5月15日に雅子様に引き継がれました)
他にも、私的な活動や外国訪問も数多く精力的にこなしてきた美智子様。
同様に、雅子様も今後は、1人での公務も増え、人前に出て笑顔で対応していくことは必須となるでしょう。
その上に宮中祭祀など、皇后の公務といえども国民の目に触れないこともたくさんあり、365日フル回転です。
美智子様と同じ仕事量を、雅子様にいきなり全て引き継ぐことは確かに「無理」かもしれませんが、
もし、雅子様が体力的・精神的に難しければ、秋篠宮家の紀子様、眞子様、佳子様もいらっしゃいます。
いずれにしても、2004年の皇太子様に「人格否定発言」をさせてしまったことを大いに反省し、教訓を生かしてほしいと、一国民として切に願います。
雅子様のご病気の現在の病状画像
雅子様は療養中のこの16年間、一進一退を繰り返しながら、その時にご自分が出来る限りのことを懸命にこなされてきました。
愛子様の学習院初等科でのいじめや不登校問題などが落ち着き、2017年(平29)に学習院女子高等科に進学されて以降は、
雅子様は体調も大きく回復されたそうで、公務に出られる姿も多くなってきています。
55歳の誕生日を迎えられた際、2019年5月に皇后となること感想を発表しています↓
「この先の日々に思いを馳(は)せますと、私がどれ程のお役に立てますのか心許ない気持ちも致します」
「国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽(けんさん)を積みながら努めてまいりたいと思っております」
2018.12.10 雅子さま55歳、皇后となる不安や健康について
https://www.bbc.com/japanese/46503124
と不安なお気持ちの一方で、日本国民のために力を尽くすと、文書で発表されました。
▼55歳のお誕生日のときの実際のニュース動画▼
2019年は、新年の一般参賀や新年の諸行事、宮中祭祀の「昭和天皇三十年式年祭」にも臨まれ、確実に回復に向かっておられるように思います。
▼2018年夏、一般の人が撮影した画像にお元気な姿も!▼
静養先からお帰りになった皇太子さまご一家の様子。(東京駅にて)
しかも車が『旧型セレナ』(笑)。
ご家族3人の登場に、観客の人は
「雅子様~!」「両殿下~!」
と感動しています。
先に乗り込んだ皇太子さまは3列目シートにお座りになり、雅子様と愛子様は2列目へ。
その自然な3人の姿に驚きのコメントも多数寄せられていました。
「雅子様の笑いがナチュラルでステキ」
「ぶんぶん手を振る雅子様…」
「せめて車はアルファードにしてあげて」
「雅子様の茶目っ気に驚いた。本当はこういう人柄なんだと思う」
「愛子様は、普通の体型にもどって健康的な感じでヨカッタ」
「親子三人で暖かい家庭を感じます。旧セレナも庶民過ぎる」
などなど、皇太子ご一家に“庶民的で好感が持てる“という声が多数寄せられていました。
筆者の感想も、雅子様ってこんなに自然な笑顔で笑う人だったんだ!とまずビックリ!
お若い頃に、固い表情でインタビューに答えていらっしゃる雅子様のイメージしかなかったのでとても貴重な映像だと思いました。
そして、雅子様にとっても好感がもてました(^^♪
雅子皇后は「もう大丈夫!」との声も
令和時代なり、2019年5月末に行われたトランプ米大統領夫妻との会見では、
雅子皇后の存在感が光っていましたね!
宮中晩餐会では、雅子様が大統領の隣に座られ、普段「氷の微笑み」と言われているメラニア夫人でさえ、
通訳を入れずに会話に花を咲かせる様子が印象的でした。
▼ニューヨークタイムズ紙のツイッター▼
With Trump’s Visit to Japan, Empress Masako Finds a Spotlight https://t.co/s5I0YNTMi2
— buzbuz (@buzbuz49341855) 2019年6月4日
↓↓↓
With Trump’s Visit to Japan, Empress Masako Finds a Spotlight.the new empress of Japan was the star.
「トランプ訪問で雅子皇后は日本のスターに!」
トランプ米大統領の訪日を伝える大手メディア・ニューヨーク・タイムズ記事の、2019年5月7日付けの記事タイトルです。
記事の主役はトランプ大統領でもなく安部総理でもなく、皇后雅子さまでした。
《詳しくはこちらで動画も紹介!》
ネットでも、
「雅子様のお顔がイキイキされていた」
「雅子様のお元気そうな表情に涙が出ました」
「お体には気を付けながら、ご自分のペースで歩んでいただきたい」
と、まだまだ心配な声が多いものの、おおむね雅子様の病状に安堵する意見が多数。
私が見る限り、雅子さまはもう皇后陛下になられても心配はないと思っています。昭憲皇太后や貞明皇后、香淳皇后のように私たちの見えない所で、社会的に弱い立場にある方々に寄り添っていらっしゃいます。美智子皇后の真似事の必要はない。妃殿下らしさがあれば、大丈夫。余計な指摘は不要です。
— AB型 (@AB36738602) 2018年12月15日
雅子皇后陛下のあのお車の中の笑顔と玉座にお立ちになったお姿を拝見したら絶対このお方は大丈夫だと思った。今後バッシングがありませんように!
— たいすけ (@zbXq2CtX7QioG5K) 2019年5月1日
雅子さまが皇后になられたときは、メンタル大丈夫かな…無理しないでね…😢て思ってたけど
皇后になってからのほうがイキイキして見えるような…🌼
メラニアさんとチークキスしたり…
さすが元外交官…😦✨— 🐰なな🐱リーマンショック世代 (@go_go_7878) 2019年6月1日
雅子様の若い頃画像!プロフィールと経歴・学歴
皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ)
誕生日:1963年12月9日
お印:ハマナス
旧姓:小和田雅子(おわだまさこ)
父親は、外交官・国際司法裁判所判事・ハーバード大教授職の小和田恒(ひさし)氏、
母親は、エールフランスの極東支配人秘書を務めていた優美子さん。
3人きょうだいの長女で、双子の妹(池田礼子さん、渋谷節子さん)がいる雅子様は、国際色豊かな家庭で生まれました。
▼ご結婚当時の小和田家(両親と雅子様と双子の妹)▼
雅子様ご本人も、父親の仕事のためロシア、スイス、アメリカなど、学生時代のほとんどを海外で過ごし、英語はもちろんロシア語、ドイツ語、フランス語の語学が堪能です。
ハーバード大学経済学部卒業
↓
東大法学部第III類(政治学)入学
↓
外交官
国際会議の場で、首脳会談の同時通訳など、幅広く活躍していたスーパーウーマンでした。
皇太子様が雅子様に一目ぼれ?!
皇太子様26歳の1986年10月、当時外交官試験に受かったばかりの22歳の雅子様と出会いました。
場所は、東宮御所で開かれたスペイン王女の歓迎パーティーで、皇太子様の一目ぼれだったそうです(#^.^#)
当時、よくパパラッチが“未来のお妃”として、雅子様を追いかけまわしているシーンがワイドショーでありましたね(笑)
バリバリキャリアウーマンだった雅子様は、
「結婚する気持ちはありません」
「外務省を辞める気はないので」
と、淡々と答えていらっしゃったので、長らく“お断り”な感じだったのですが…
その後、雅子様の英国留学などで一時交際が途切れた時期もあったそうですが、
1992年8月にお二人は再会、同年10月、千葉県市川市の新浜鴨場で皇太子様がプロポーズ。
雅子さまは「殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けします」と、決意を表されたのでした。
▼1993年ご結婚。皇太子様ステキ!雅子様本当にお美しいです!▼
Embed from Getty Images
雅子様はきっと、皇室の一員として語学を活かし「外国に開かれた日本」みたいな仕事をしたかったんじゃないでしょうか。
しかし、いざ皇室に入ると、まるでカゴの中に閉じ込められた人生に。
雅子様は、ご両親が外交官と元CAなので、教育やマナーについては一流でも、色んな国での海外生活が長かった分、もともとがフランクな一面もあったはず。
皇室の伝統や格式、閉塞的な雰囲気に馴染めなかったのは仕方ない事だと思います。
一般社会では好意的に受け止められる「ほどよくフランク」も、皇族という独特な空間でやってしまうと「下品だ!」と叩かれしまうんですね。
そういう意味では、
・インターナショナルスクール出身で英語ペラペラの眞子様の婚約相手の小室圭さんが、パリピ写真流出で騒がれる例も、
・イギリス王室のメーガン妃が足を組んだだけで叩かれる例も、
ロイヤルファミリーって、どの国でも何かとラクではないな~と思います。笑
▼雅子様のご病気の真相についてはこちらも人気です(電子版有)▼
雅子様が皇后が無理な理由は異常な重圧?病状画像もまとめ
公務にさえあまりお姿を見せなかった雅子様が、皇后になって本当にやっていけるのか、
やはり「無理なのでは?」と考えてしまうのは、国民の正直な関心事かもしれません。
でも、雅子様へのこれまでの過度なメディアの期待も、雅子様の病状を悪化させてしまった原因でもあると思います。
雅子様は、英語だけでなく、フランス語もドイツ語も堪能な元祖キャリアウーマン。
雅子さまの傍には、美智子様という立派なお手本がお元気でいらっしゃることですし、
皇后様になってお立場も状況も今までとは一変したので、心機一転、これから臨機応変にやっていかれるとのでは?と個人的には期待しています。
皇太子様がおっしゃっていたように、雅子様が、本来の自信と活力を持って、経歴を十分に生かしながら、活躍していただけたらと、心から願っております。