サーヤこと黒田清子さんの旦那・黒田慶樹さん。
黒田慶樹さんは「一般人」とはいえ、家系図には旧華族に嫁いだ人物がいたり、
何より母親が呉服屋の一人娘という品の良さ。
天皇家とご縁がある方はやっぱ家系は大事
黒田清子さんの姪っ子、眞子さまの婚約者KさんやK母があまりにもポンコツすぎて、
皇族のお相手ってつくづく家柄や品が大事だなと実感します。
黒田慶樹(黒田清子さん夫)の年収!経歴は元銀行員
地方公務員の黒田慶樹さんと、天皇家の長女・サーヤこと黒田清子(さやこ)さんが挙式されたのは2005年11月15日。
- 黒田清子さん 36歳
- 黒田慶樹さん 40歳
の時でした
2018年「デイリー新潮」に激写された孤独のグルメ中の黒田慶樹さん。失礼ながら、親近感がわいてほほえましい、、
“サーヤ”の夫・黒田慶樹さんの慎ましい夕食 「大戸屋」で黒酢あん定食をひとり頬張る https://t.co/nNNbLu3Yxg #デイリー新潮
— buzbuz (@buzbuz49341855) February 28, 2021
黒田慶樹さんは車好きで愛車やロータス、カメラも趣味でいらっしゃいます。
新婚40歳にして、最初から老け顔タイプだった黒田慶樹さんのプロフィール。
生年月日:1965年4月17日
出身:東京都
出身大学:学習院大学法学部
2021年で56歳になる黒田慶樹さん。
時間が経つのは早いものです。
黒田慶樹さんは、秋篠宮殿下と学習院初等科からのご親友。
学習院高等科時代は写真部・地理研究会、
大学時代は自然文化研究会でもツルんでいらっしゃり、
紀子さまとも同じサークル仲間だったとのこと。
実際に、黒田慶樹さんを妹の清子さんに紹介したのも秋篠宮殿下でした。
殿下、やるわね!ムスメにも誰か紹介してあげたほうがいいわ!
天皇家と昔から交流があった黒田慶樹さん、お相手として安心感がありますね。
黒田慶樹さんの経歴と年収!
黒田慶樹さんは学習院大学卒業後、現在の三井住友銀行に入行。
31歳の時に退職し、翌年1997年に東京都庁に転職しています。
銀行員から都庁にすぐに職業を変更できるなんて、完全に転職勝ち組です。
じつは、東京都職員の給料は、東京都人事委員会のホームページで年度ごとに公開されています。
サーヤの旦那・年収が丸見えよ!
黒田慶樹さんの役職は、黒田清子さんと結婚した2005年のときには
「東京都都市整備局市街地建築部建設業課建設業指導係の次席(係長級)」
という長すぎて何をしているのかよくわからない役職でした。
その後「都市整備局総務部総務課係長」を経て、
▼2009年 管理職選考に合格
▼2010年4月 東京都建設局公園緑地部管理課課長補佐に昇任
▼2012年4月 建設局第五建設事務所の用地課長
▼2015年4月 東京都港湾局総務部団体調整担当課長
▼2017年4月 東京都建設局公園緑地部利用促進担当課長
▼2019年4月 東京都都市整備局都市づくり政策部都市計画課長
と、どんどんいい感じに出世街道まっしぐら。
現在の役職での年収は、約1,000万円とのこと。
黒田慶樹さんも、“サーヤの夫”として準皇族のような扱いなので、
出世するたびニュースで公表されてしまって、迷惑でしょうねぇ。
黒田慶樹(黒田清子さん夫)の家系
黒田慶樹さんは、実は、
「天皇の皇女の結婚相手としては、皇族・華族出身者でない史上初の人物」
wikipedia -黒田慶樹-
という、日本で唯一の肩書もお持ちです。
これも、時代の流れなんでしょうね。
「黒田」姓で有名な皇族・華族といえば、
・黒田孝高(戦国武将)
・黒田清隆 (第2代内閣総理大臣)
などがいますが、黒田慶樹さんとは、全く関係がありません。
ただ、黒田慶樹さんの親族が旧華族との婚姻関係があります。
黒田慶樹さんの父方の叔父(長男の慶一郎さん)の奥様が、秋月(あきずき)子爵家の出身。
さらに、父方の伯母(徳子さん)が税所(さいしょ)子爵家に嫁いでいらっしゃり、
家系図上は、血のつながりはない遠い親戚に、旧華族や皇族との繋がりがあります。
黒田慶樹さん、やっぱりそんじょそこらの一般ピーポーではなかった!
黒田慶樹(黒田清子さん夫)の母親や父親・兄弟は?
黒田慶樹さんの母親の名前は「壽美子さん」。
もともと呉服問屋の一人娘とのことで、さすが、お着物の着こなしもステキですし「品」がありますね。
黒田慶樹さんの兄弟は、弟が一人。
悲しいことに、父親の慶次郎さんは、黒田慶樹さんが大学生の頃、56歳の若さで他界されています。
黒田慶樹さんの祖父・黒田慶太郎さん
黒田慶樹さんのお爺さま・黒田 慶太郎(くろだ けいたろう 明治15年生)は、
戦前の日本を代表する日本人実業家でした。
中国にあった日系紡績会社、上海紡織(シャンボウ)の代表取締役会長として、
バリバリの優秀な商社マンでした。
▼大阪府堺市出身。黒田吉三郎の長男として生まれる
▼明治37年(1904年)東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業
▼三井物産会社勤務を経て上海紡織へ
▼終戦と同時に黒田一家は日本へ帰国
黒田慶樹さんの父親・黒田慶次郎さん
次男坊だった黒田慶樹さんの父もまた、初等科から学習院へ。
トヨタ自動車に勤務し、 東京・神田の呉服問屋の一人娘・壽美子さんと結婚。
男の子二人(慶樹さんと弟)に恵まれますが、
1986年、長男・慶樹さんが大学二年の時に、56歳で他界。
温厚で柔和な紳士だったそうです。
黒田慶樹さんは「一般人」とはいえ、親戚が旧華族・皇族につながる人がいて、
しかも母親が呉服屋の一人娘。
小学校から学習院に通って秋篠宮さまとずっとご親友だったということは、
やはり生まれた時から、天皇家とご縁があったのでしょう。
黒田慶樹清子夫妻は母と同居中?
皇后雅子様のご実家・目黒区南の「コンクリ御殿」は有名ですが、
黒田夫妻は今どこに住んでいらっしゃるんでしょう。
ニュースでは
「東京都豊島区目白」
とだけ事実として報道されていて、詳細の住所は非公開です。
ですが、ネットでは《目白ガーデンヒルズ》という、
豊島区目白の皇族御用達の億ションと言われています。
母の壽美子さんと同居されているという情報はありませんが、
すぐ近くに住まわれているそうで、
3人で庶民派スーパーで仲良くお買い物をする姿もパパラッチされています。
黒田慶樹さん清子さん夫妻の住まいについては、こちらの別記事にて詳しくまとめています↓
黒田慶樹さんは夫妻は別居で子供は?
「黒田夫妻は別居中?」というのは全くデマで、
ネット上で勝手に拡散されてしまっているだけですね。
黒田清子さんが2012年
『伊勢神宮臨時神宮祭主』
に就任したとき、
三重と東京じゃ離れ離れだし「じゃぁ別居?」と勘違いしたものが広がっているだけです。
2017年からは
『伊勢神宮祭主』
に昇格した黒田清子さん
ホタル舞う伊勢神宮で「月次祭」 黒田清子神宮祭主、五穀豊穣祈る https://t.co/Z6x7Qq7D43 pic.twitter.com/9ufiodwxag
— suizou (@suizou) 2018年6月17日
この役職は、代々皇族出身の女性が就いていて、祭主が直接、神事に携わる(ご奉仕する)のは、このうち神嘗祭(10月)など一部に限られているため、
会社員のように、毎日三重に通っておられるわけではありませんのでご安心ください(笑)
そして、黒田夫妻には子供はいらっしゃいません。
黒田清子さんが皇族のままだったら、皇后雅子さまのように、子供をつくれ~と周りから心無いパワハラを受けて病んでしまっていたと思います。
子供が出来ない、子供を敢えて作らない、という選択肢は、夫婦の数だけ理由があります。
黒田清子さんは、今は一般人として愛する黒田慶樹さんと心穏やかに暮らしていらっしゃり、
たまに催事で元気なお姿を見せていただけるのでしたら、
国民の一人としてはとっても幸せなこと。
夫妻の子供については、こちらの別記事でも触れさせていただきました↓
・黒田清子さんの結婚式ドレスはアニメヒロイン!意外な病歴も!
黒田慶樹(黒田清子さん夫)の家系や母の現在は?目白の家で同居中?まとめ
黒田清子さんの旦那さん・黒田慶樹さんの家柄などを紹介いたしました。
お二人が結婚されたときから早20年近くも経ったとは、時間の立つのは早いものです。
余談ですが、2018年10月30日に行われた高円宮絢子さまの結婚式では、
黒田清子さんと眞子さまは隣同士のお席で、楽し気に歓談されていたとのこと。
眞子さまは幼いころから黒田清子さんを慕っていて、
結婚生活についても、“先輩”からいろいろお話をきいていたのでしょうか。
眞子さまも早く、今の風当たりが収まり、お幸せになられることを願って止みません。
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コメント
“黒田清子さんの「いとこ」眞子さまの”
眞子様は黒田清子さんのいとこではなく「姪」です。
皇族(元ですが)に関する事柄ですので勘違いしてしまう人が出ないよう訂正お願い致します。
ご指摘ありがとうございます!訂正いたしました。